メディアの話その135 1998年の甘糟りり子さん「東京のレストラン」とVRとARと。
1998年。甘糟りり子さんが「東京のレストラン」を出した。
この本、ずいぶんお世話になった。
ホイチョイとも山本益博さんとも田中康夫さんとも異なる切り口で、東京のレストランを発掘する。
選んでくるお店、文章ふくめ、ただのレストランガイド、ではなく、街に生息するレストランやバーという生態系をフィールドワークする生態学者、みたいなところがあって、かつ選ぶお店が、非常にセンスがよかったこともあって、本書をきっかけに行くようになったお店多かった。
西麻布のウォッカトニック系のバー&レストランなんかもそうだった。
冒頭にでてくるのは、アロマフレスカ。
たしかまだできたばかりだった。
いまや、東京のイタリアンの代表で、予約もお値段も私なんかがいけるようなお店じゃないんだけど、できた当時は、恵比寿と広尾のあいだの、半地下でちょっと光が差し込むこじんまりとしたお店で、ランチなんかもふくめて全然高くなかった。
店にいたるまでの道のり。店の構え。街から店への導線が、リアルに存在していた。
なにが今と違うかというと、このときこの世にはまだインターネットがほぼなかったのだ。
甘糟さんがフィールドワークしたこの時代はぎりぎりインターネット以前。Googleも存在しないし、携帯電話を持ってないひとが半数以上いた。98年だと私も持ってなかった。アマゾンも日本に上陸していない。スマホが出てくるのは10年あとだ。もちろんグルメサイトなんかも存在しない。
だから、お店を探すってのは冒険だったし、たまたま街をふらついて出会う面白さがあった。
インターネットが普及したら、東京はもちろん日本中のおいしい店の立ち位置は完全に変わった。
お店はグルメサイトによってことごとくタグ付けされた。グーグルマップで簡単に行けるようになった。
レストランはAR(拡張現実)の世界のものになった。
するとどうなるか。
こんどは美味しい店は、閉じたVR(仮想現実)にアクセスできるひとのためだけのものになった。
美味しい店は情報という市場においてその価値が高騰し、ファンがサークル化し、まず料理の値段があがり、予約がとれなくなり、誰かの紹介とか、予約が1年とか2年先、といったかたちに変遷した。
2000年代終わりくらいから、その流れが顕著になった。
するとどうなるか。
おいしい店は、リアルな「街」に存在しなくなった。
おいしい店は、ウェブの閉じたグループのなかにのみ存在するようになった。まさにメタバースの中に存在になった。
別にそれが悪いわけではない。
情報環境の発達と変化によって起きた必然的な流れだ。
私自身、そういうおいしいお店に集うグループのいくつかのはじっこに混ぜてもらってるところもある。
そして、そんなお店にいけば美味しいし、楽しい。
ただ、美味しいお店が街にあって、たまたま出会う。たまたま入る。びっくりする。感動する。という街の生態系におけるレストランのセレンディピティは減じた。美味しい店の大半はぱっと入れないからだ。予約しないと、あるいは予約しても入れない。
スナックを面白がるようになったのは、考えてみると、おいしいお店が街からいなくなったから、だったことに今気づいた。
あるいは、ガイドブック的な評価と関係ないお店にひとりで入る「孤独のグルメ」が人気を博したのも、おなじ理由かもしれない。
あれは、まさにたまたま歩いた街にあるお店との出会いだからだ。
スナックも孤独のグルメも、メタバースの世界にいない。ただ街にいる。