恋愛がヘタ過ぎてLGBT恋活に行ってみた話
私は基本的に恋愛がヘタだ。
もう三十ウン年生きてきて、真に「恋愛している」と感じたのは、中学生のころ3年間、同じ男の子を好きだったときだけ。
いまは自立したオトナの恋愛を楽しめているが、ここにたどり着くまでが本当に長かった。
人はこの時代を氷河期、または暗黒時代と呼ぶ。
今回は私があまりに恋愛が苦手過ぎて、自分のセクシャリティさえ疑った話をしようと思う。
楽しかった中学を卒業した後、第一志望ではない高校に進学したころから私の人間関係は狂い始めた。
高校では常に浮いていて「ここは私の居場所じゃない」と、ハマらないパズルのピースのような感覚がずっとあったのだ。そのきっかけとなったのが、高1のGW前に同級生の男の子から告白されたこと。
私はGW中ずっと
吐いて寝込んだ。
告白されるなど初めての経験で、「試しに付き合ってみる」などという器用なことはとてもできなかった。「お断りする」というミッションを抱えたまま恐怖に打ちひしがれ、楽しいはずのGWは壊滅した。
以来、ひとと距離を置くようになり、私の興味はゲームや漫画、小説に没頭するようになる。あまりに人間関係を築かなかったため、私の記憶にクラスメイトの名前はほとんどとどまっておらず、彼らのうちだれも私を覚えている人はいないだろう。
大学に入っても距離感を築くのが苦手で、親しくしてくれたクラスメイトについていく形で部活の入部にすべりこんだ。
この部活は恐ろしいほどの体育会系でのちのトラウマとなるのだが、ひとり優しくしてくれた先輩とはじめてお付き合いするようになった。
初彼氏である。
じつは、「好きだったか?」と聞かれると、「YES」と言えない。
ただ、当時は初めての彼氏という存在がうれしくて、ステータスとして付き合っていたのだろうと思う。
人を好きになる方法がわからないため、彼氏と言う存在は貴重。手放したくない。それはやがて執着心となってお互いを苦しめることになる。
私は「一般的なルート」として、「卒業→結婚」を考えていたが、彼にはそのつもりはなかったようだった。
卒業後に私はプロポーズしたのだが、
見事に
玉砕した。
それ以来、ますます人づきあいが怖くなる半面、ひとが恋しくてたまらないという矛盾した症状を何年も抱えこむことになる。
最初の彼氏と別れてからじつに7年の月日が経ったころ、私は人生で2度目の恋人を手に入れた。ところがこのオトコ、ろくでもない人間で、私は度重なる言葉のDVに打ちのめされながらも、執着心を手放すことができない。
楽しいはずの恋愛なのに、なぜか苦痛と不安しか感じない。
いやそもそも、楽しい恋愛などしたことあったか?
恋愛が楽しいだなど、誰が言い出したのだろう?
それでも私がしがみついたせいで二人の関係は1年ちょっと続いたのだが、周囲の予想通り、結局別れることになった。
私は、
仕事を休んだ。
はじめての彼氏も二人目の彼氏も、好きになった恋愛を始めたつもりだったが、結局そこにあるのは「手中に収めておきたいという執着心」だけだった。なぜ私はシンプルな恋愛ができないのか?
試しに友人の紹介で何人かの男性とご飯を食べたりしたのだが、いまひとつピンとこない。試しに付き合ってみなよ、とは言われるものの、
試しにって、
そんなの無理としか思えない。
試しに付き合ったら情がわいて、別れるに別れられなくなる。
その結果、いろいろな出会いのチャンスが素通りしていくに決まっている。
いままでの経験上、そうだったのだ。
どうしてこんなにも人に恋愛感情を持ちにくいのだろう?あこがれる人やドキッとする人はいても、それはアイドルへのあこがれと同じで、恋愛感情とはまた別なのだ。
私は思った。
「もしかして、私の恋愛対象は男ではないのかもしれない」と。
たしかに、昔から私はカッコイイ女の人が好きだった。中性的で凛々しい女性キャラに引かれることが多かった。たとえばセーラーウラヌス(セーラームーン)など、ショートヘアの美少女にあこがれていた。
リアルではシャネルのCMのクリステン・スチュワートにくぎ付け。
このCMを見るとときめきを隠せない。
私自身も中性的な自分が好きで、メイクや長髪は嫌いだし、スカートなど制服以来一度もはいたことがないほどである。
そんな折、ネット上でふと目にしたのが
「LGBTのための恋活」
である。
私は決心した。これはもう、行ってみるしかない。
私は恐る恐る「レズビアンの恋活」に申し込み、緊張に震えながら当日を待った。この間、レズビアンのエッセイや漫画などをざっと読んだ。もしかしたら新しい世界が広がるかもしれないという不安と期待をいだきながら。
当日、場所は池袋の繁華街をはずれた一角の、小ぢんまりとしたビルに向かった。グーグルマップを見ながら行ったので絶対に間違いはないのだが、緊張のあまり、さも「私は通行人ですがなにか?」風を装って、何度も入り口の前を行ったり来たりした。
どうしようか。バックレてしまおうか。
いっそアルコールでも飲んで来ればよかった。
最後は締め切り時間になる直前にビル内に駆け込んだ。
当日の参加者は15人ほどで、もちろん全員女性。ふんわり系のファッションの子もいれば、がっつり男子っぽい女の子もいる。
(おお、彼女たちはみんな同性愛者か。どれどれ、私の好みはいるかな…?)
ざっと見まわす。
クリステン・スチュワートはいなかった。
そうこうするうちにミーティングが始まった。参加者は半分ずつ向かい合わせになって座り、3分ずつの制限時間で前に座る相手と会話をし、テーブルに置かれた用紙に相手のプロフィールを書き込んでいく。時間が過ぎるとひとつずつずれ、別の相手と話していく。
好きなものや趣味の話、なんでここに来たのか、なにに興味があるのかなど。
聞くこと、聞きたいことは異性間でのやり取りとなんら変わらない。
私は「いままで男の子と付き合っていたがうまくいかず、新しい出会いを探しに」と正直に話した。
一通り話し終えると、10分間のフリータイム。
ここで参加者は自由に気になる人と話に行く。
私は、
気になる人がいなかった。
気になる人がいない者にとって、このフリータイムは激しい苦痛となる。
なんか、浮いているのだ…。
しかし救いどころはあり、同じく「なんかイマイチ」と固まっていた数人のもとにフラフラと近寄り、どうでもいいことを話しながらなんとか10分をやり過ごす。
後半は同じことの繰り返しで、制限時間ごとに相手を変えながら会話をし、2回目のフリータイムに突入。
さきほどと同じグループに行こうとも思ったのだが、なんと彼女たちも別の人と話しているではないか。これはマズい。私もだれかと話さなければ。
ほとんど義務的に、恋人にも友だちにもしづらいフェミニンな女の子たちと話に行き、ここもなんとかやり過ごす。
すべての行程が終わると、気になる人の番号を書いた用紙を提出。私は話していてなんとなく気が合いそうだと思った女の子の番号を書いた。その子は英語が得意でアクティブな性格、なんか学べることがあるかと思ったのだ。
全員から用紙を受け取った主催者が、最後にカップリングを発表する。
私は選ばれたいのか選ばれたくないのか自分でもわからなかったが、なぜかドキドキしてその瞬間を待った。
…。
……。
………。
私が書いた番号の女の子は、別の女の子とカップリングが成立。ほかにもう一組カップルができ、この二組は拍手に包まれながら会場を後にした。
私はガッカリと言うか、なんか茶番のようなこのムードに耐えきれなくなっていた。
終わったらソッコー帰ろうと思い、さっさと帰り支度をしてエレベーターを待っていたところ、たまたま乗り合わせた女の子と少し話をすることに。彼女ともさきほど話したはずだが、あまり印象にない。二人で池袋駅まで歩きながら、彼女がLINEの交換をしたいと言うので受け入れた。彼女がショートヘアで、友だちになれそうと思ったからだ。
このLGBT恋活は思いがけない結論を私にもたらした。
それは、
と認識したことである。
私が男にモテない、男を愛せないのは、単に私が恋愛に奥手すぎてうまくいかないだけで、決してセクシャリティの方向性が違っていたわけではなかったのだ。
最後にLINEを交換した彼女からはその後何度も「付き合いたい」と連絡をもらったのだが、私は深くお詫びして丁重にお断りした。どう考えても同性とは友だち以上にはなれないと、私の脳が言っている。
「私は異性愛者」
と自覚してからは、いままでとは考えられないほど積極的に行動をするようになり、交友の幅を広げていまのパートナーと知り合えた。
もし恋愛が苦手で男性恐怖症、なかなか人を好きになれなくて悩んでいるのなら、ぜひLGBT恋活を利用してみていただきたい。一度、恋愛の対象を広げてみてほしいのだ。そこでグッとくるものがあるかもしれないし、私のように改めて自分を知ることができる可能性もあるから。
最後に。
もともと私はLGBTに抵抗はない。むしろもっと認められればいいと思っている。ただ少し他人事のような気はしていた。しかし今回、自分が「Lの世界」をかいま見たことでより実感したことだが、
セクシャリティは自分で決めることはできないのだ。
異性愛者がどうがんばっても同性を恋愛対象にすることができないのと同じく、同性愛者も異性を恋愛対象にはできない。もちろん両性愛者もいるし、趣味でセクシャリティと逆の性と付き合ってみる人もいるだろうけれど。
なので、いままで以上に声を大にして言いたい。
人を好きになる気持ちに異性も同性もない。
異性愛者で同性愛者を受け入れられない人がいるというのなら、こう聞いてみたい。
「じゃああなたは同性を好きになれと言われて好きになれますか?」
きっとムリだろう。
同性愛者に異性愛を強要するのは、そのくらい強引で非人道的なやり方なのだ。
私がお断りしたあの女の子は、いまどうしているだろう。
幸せな恋愛をしていてほしいと願ってやまない。
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