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つくづく自分は大衆向きではないと思った結婚式の話


人生80年を半分近く生きてきて、これまで3回しか友人の結婚式に呼ばれたことがない。

結婚式の数=友人の数

という相関関係から見れば、私がいかに友だちが少ないかおわかりいただけるだろう。

家庭の事情で他県へ引っ越していて、あるとき久しぶりに地元に戻ったのだが、「実は…」と友人が今度結婚することを報告してきたときも、

「あっ、それはおめでとう!もしかして私を呼ばないよね?

という、言う方も聞かれた方も意図不明なことを言ってしまい、結局呼ばれなかったという経緯がある。


そんな、場の盛り上がりに入りたくない私が窮屈に感じた結婚式の話。


友だちの数が少ないのはなんら構わないのだが、結婚式の数はもっと少なくてもいいと思っていて、これには理由がある。

誰かが好意でやってくれることではなくて、自分で自分の幸せを大多数の人前でアピールし、演出するというのにどうにも理解が追いつかないのだ。

「私たちは幸せです!」

という結婚報告ならわかる。

ほんとだ、幸せそうだ、よかったな、と素直に思える。

だが、

「私たちを祝福して!ほら、ほら!」

と強要が入るので、私は途端に引いてしまうのだ。


結婚式は私の限られたリソースを搾取されてしまうイベントでもあった。


こちらにも彼らに与えたいおめでとうの気持ちがある。

式ではこれを上回る期待をされるので、本心からのおめでとうのほか、ストレスを練り上げて作った空のおめでとうまで要求される。これがきつい。


たとえば、私はおめでとうの気持ちをじゅうぶんに込めて、ご祝儀は1万円でいいと思っている。20代だろうが30代だろうが私にとっては大金であり、気持ちを伝えるのに不足はないと考えている。

しかし世間的には3万円が正解なのだ。

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残りの2万円は私の「心からめでたい気持ち」以上のものを一般常識という社会通念が搾取した結果だ。

1万円ではなぜダメなのか?友人に聞いてみても、「アンタはケチなやつだ」と人非人の烙印を押される。

一方で、「来月また結婚式があってきつい」などという声も聞かれる。

この矛盾をだれか説明してほしい。


結婚式はおめでたいし出たいけど、ご祝儀3万円はきつい


というのは世間的に認知されている。

でももしご祝儀が1万円でよければ、こちらもストレス感じずに心おきなく祝えるし、主催側も来客に経済的打撃をほとんど与えず祝福してもらえるはずだ。

これこそWin―Winの関係とは言えまいか。

(ご祝儀を式の費用に充てるという話も聞くが、ご祝儀を当てにしないといけないような式は挙げるべきではないだろう)


さらに強烈なのはケーキ入刀からのファーストバイトである。

これにはいい一発を食らってしまった。


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知らない人がいるかもしれないので簡単に言うと、ファーストバイトとはカットしたケーキを新郎新婦がお互いに食べさせ合い、

新婦からは「一生、おいしいものを食べさせてあげる」意味

新郎からは「一生、食べ物に困らないようにさせる」意味

があるとのこと。(司会のお姉さんが言っていたのでそうなのだろう)


私はジェンダー論者でもフェミニストでもないが、この価値観の押しつけには引くというより嫌悪しかない。

なぜか現代でもこのようなステレオタイプのイベントがウケるらしい。べつにこういうイベントを身内でやって盛り上がるのはかまわない。

だが間の悪いことにファーストバイトはシャッターチャンスとのことで、

「席を立って新郎新婦の前に集まり、写真を撮って祝福をシェアすること」

を強要されるのだ。

私はただ義務的に周りの友人たちと同じ行動をとった。そして思った。

私はなにをやっているんだろう、と。


私は集団行動がきらいなのではない。こちらの意に反したことを「やって当然」と思われるのがイヤなのだ。

なぜ式に参加して、席に座ったまま見物しているだけではだめなのだろう。

しかし「参加」に〇をしたのは自分なので、最後までその責は全うしなければならない。それこそ社会人としての義務だ。


伝統とか、マナーとか、常識とかそういった型にはめて、そこからはみ出ると「思いやりがない」だとか「そこはケチるところじゃない」とか言われてしまう。

しかもあれだけ盛り上がらせておきながら、離婚する可能性もある。

離婚したら、搾取された私のリソースはまるで無駄になるのだ。


最後に、

結婚式の参加目的を同僚に聞いてみたのだが、

「結婚式の参加者同士で出会うこともあるし」

と返ってきた。

これは結婚式の唯一といってもいいメリットである。

3万円払っておいしいものを食べて、ついでに自分の人生のパートナーが見つかれば差し引きは大きくプラスに転じるだろう。

私の場合も結婚式の参加意義はこれだったのだと信じたい。


そして、


とくになんの出会いもなかったので、ここに記しておく。

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