神と恋愛と予定調和の話
「恋人募集中♡」というノリが無理過ぎて、
「え?恋人?別に募集なんかしてないし。え、なに。なんでそんなにがっついてんの?え、引くー」
を貫き通していたせいで、元カレと別れてから彼氏いない歴6年を迎えようとしていた春のこと。
彼氏は欲しくとも表立って行動できないチキンの私は、恋活アプリや出会い系サイトを利用するのはあまりにハードルが高すぎた。
好きな男の子を通目で眺めるしかなかった中学校時代からほとんど成長していない恋愛下手にとって、利用者全体が恋愛にガツガツしておらず、あわよくば友だちから恋人関係になれちゃう(かもしれない)最高のシチュエーションを築けるのは、ペンパルサイトなのではないかとの結論に至ったのである。
時はグローバルなネット時代。
クリックひとつで世界中とつながれてしまうのに、「恋愛市場を日本に限定するのはあまりに狭すぎるのではないか?」とアラサー友だちが既婚者ばかりの私は思うのだ。
決して、私の需要が枯渇しているからではない。
……。
枯渇しているからではない。
それに、
「え、私、べつに恋愛したいわけじゃないし。あくまで友だち作りだし」
このスタンスは崩さない。
そんな私がペンパルサイトで国際恋愛を遂行していくさまを純愛私小説のように語っていこうと思う。
私が利用したinterpals(インターパルズ)という英語オンリーのペンパルサイト。当方、英語が得意というわけではないが、英語でじんましんが出るタイプでもないので、interpalsでアカウントを作ることに抵抗はなかった。
さすがに顔写真を載せるのは抵抗があるので、室内にあった大好きな恐竜の立体パズルを撮影。アラサー女子としてポートレートの被写体に違和感がないでもないが、致し方あるまい。女子は皆、好きなものを自分の画像に設定しているではないか。
interpalsでは自分のプロフィール欄で、
「友だち」「恋愛」「ペンパル」「言語交換」「会って遊ぶ」
など、自分がどんな人を探しているか項目にチェックをつけられる。探す相手の国籍や年齢、性別も詳しく選択でき、内容によっては数千~数万の市場…ではなくて、世界が広がっているのだ。
私はもちろんすべてにチェックをした。まちがっても
「恋愛」「男性」
のみでフィルターをかけるような真似はしない。
選ぶ国籍は、かねてよりロシアに興味があったので、ロシアとその周辺諸国に限定。
「ロシア語勉強しています★友達募集!」
的なことを中学レベルの英語と、一応日本語で表記してプロフィールに設置。
するとどうだろう、数時間も経たないうちにロシア人やロシア在住の日本人からメッセージが次々と届くではないか。
しかも男性からばかり。
やはり私の市場開拓に狂いはなかったのだ。ま、あくまで友だち作りだから深い意味はないが。
私は一番最初にメッセージをくれたロシア人とペンパルになることに決めた。彼が日本を好きで、独学で学んだという上手な日本語のメールをくれたからだ。
彼の名を「ゲーニャ」と呼ぶことにしよう。
ゲーニャは当時26歳、首都モスクワより南西800kmほどにあるサラトフという街に住んでいた。アメリカ企業のエンジニアで、かつて2回ほど観光で日本に来たことがある。
毎日1~2往復ずつのやり取りを3カ月続けていた私は次第に博識な彼に惹かれていった。
これは予定調和だ。神が定めた結果にすべてつながるのだ。
かねてよりロシア旅行をしたかった私は、その年にいよいよ単身ロシアに行くことを決意した。旅行先はもちろんモスクワで日数も3泊ほどしかとれないため、サラトフ在住のゲーニャに会うことはまずもって不可能。
なので下心はいっさいなしに旅行の話をゲーニャにしたところ、驚きの返答が返ってきたのである。
『ヤナさんがモスクワに行く時期に、ぼくもちょうどモスクワで仕事があるから、よければ空港まで迎えに行こうか?』
こ、こ、これは…どう考えても、アレ、アレではないのですか。
私は興奮を抑えきれずに、しかし文面上は平静を装いながらお礼の返事をした。その後、グーグルアースで「サラトフ」を調べ、将来引っ越すことになるかもしれない街のようすをくまなく観察した。
私は入国のビザを取り、航空券を手配し、ゲーニャに乗る飛行機の便を伝えた。地球の歩き方を熟読し、成田空港からアエロフロートに乗り、いよいよ単身ロシアの地に降りたのだった。
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モスクワ・シェレメチェヴォ空港で私を出迎えてくれたゲーニャは、写真で見たとおりの知的な顔貌と黒い巻き髪の美しい青年で、思っていたより小柄だった。
彼の日本語は文章ほど流暢ではなかったものの、ネイティブである私には十分すぎるほど通用した。声のトーンはやや高めで、はにかむ笑顔が輝いて見える。
彼は私の荷物をすぐに持ってくれ、空港と市内を結ぶアエロエクスプレスのチケットを買う手伝いをしてくれた。自動券売機ではなく、直接切符売りのおばさんに声をかけるシステムだ。
彼ととなり合わせの席に座るだけでワキ汗がハンパなかったのだが、日本でくすぶっていたころには感じないほど、女性ホルモンが活発化するのを自覚した。
ゲーニャは私が泊まるホステルまでついてきてくれたうえ、「明日はトレチャコフ美術館に行かない?」とデートの提案までしてくれた。
私は運命を感じた。私の好きなロシア画家レーピンの作品が豊富なトレチャコフ美術館には、絶対行きたいと思っていたからだ。
翌日の美術館デートはこれ以上ないというくらい最高潮の幸せを私にもたらした。
ランチで「チップの払い方がわからないからレストランは行けない」と伝えた私に、ゲーニャはくすくす笑いながら「ぼくが教えてあげる」とあえて庶民的なレストランを選択。
ロシア語表記のメニューも訳してくれ、おいしい本場のロシア料理を堪能できた。
楽しい1日が終わると、私はゲーニャから友だち以上の何かを感じ始めていた…
最終日は夕方の便で帰る日だ。赤の広場の噴水そばで、ゲーニャとのんびり散歩する。そしてあっという間に、舞台は空港の手荷物検査場へ。
ゲーニャはもちろん、手をつないだりキスをしたりなどしてこない。ただ、別れ際にぎゅうっとハグが切ない。
「日本に着いたら、必ず連絡してね」
私はさみしさを隠すように満面の笑みを浮かべながらうなずいたのだった。
あれから数年。ゲーニャはいま、私の隣で眠そうな目をこすっている。
あの時――私がペンパルサイトでアカウント作ったあの時から――私たちの運命は決まっていたのだ。
神さまって、いる。
(完)
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さて、事実は小説より奇なり。
はっきり言ってだれかの恋愛話など、よほど共感を得られない限り、クソも面白くもない。
他人のキラキラ話などまったく興味もないだろうから、ここで現実について話しておくことにする。
私がシェレメチェヴォ空港に到着したとき、誰も私を迎えには来なかった。
ゲーニャに何度も連絡を取ろうとしたが、メッセージは既読にもならず、あれほど毎日やり取りしていたにぱったりと途絶えてしまったのだ。
初日は泊まるホステルのドアの開け方がわからず、小一時間ほどうろついていて、ほかの宿泊者が帰ってきたところで何食わぬ顔して一緒に入り込めた。
既読のつかないゲーニャに、毎日その日のできごとを送った。
わざわざ、
『明日の10時頃、トレチャコフ美術館に行きます』
とメールしたりして、現地で運命の出会いができるんじゃないかと期待を寄せることも忘れない。
もちろんトレチャコフ美術館に彼は現れなかった。
チップの払い方がわからなかったのでレストランをあきらめ、赤の広場そばの屋台で買った1個のピロシキ。
…注文を間違えて、昨日と同じ中身を買ってしまった。
その日の夜のこと。ゲーニャから返信が来たのだ!
『ごめんなさい、ぼくも今モスクワにいます。
二週間前に、急きょアメリカに行くことが決まりました。
今日はアメリカ大使館にビザを申請に行っています。
すごく忙しいから会えない。旅行を楽しんでね!』
最終日は気温が急激に下がり、小雨で息も白くなったことから観光はなにもせず、早々に空港に向かう。
冷え切った体を温めながら、思うのだ。
神は、いない。
それから数か月後、情熱が冷めたころにゲーニャのInstagramを見たところ、
『in North Carolina』
のタグとともに、飛行機の写真が載っていた。
ゲーニャはリアルに存在し、リアルにアメリカへ行ったのだ。