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どうして大人になっても親の過干渉を受け入れているの?

大人になっても未だに、親に過干渉されることを受け入れている人がいますよね。

親に過干渉されているとは、親の言われた事が自分の意にそぐわないのに、受け入れ続けることをいいます。

従わなければいいのですが、従順にしていないと、親からグチグチと言われてしまいます。

それが、嫌で嫌で仕方がないので、受け入れてしまうのです。

わかる…私も実はそうでした。

私も20歳過ぎても、母から過干渉されることを受け入れ続けました。

幼い頃から神経質な母は、こだわりが強い人でした。独自のマイルールを私と姉に従わせていました。

数あるルールのなかで、母は、洗濯物の乾き方を異常に気にする人でした。

私が中学生の頃、出かける母に「15時に外にある洗濯物を家に入れてね」と頼まれました。

しかし、私はうっかり忘れて15時30分に洗濯物を家の中に入れました。

私は「まあ、15時も15時半もそんな変わらないでしょう」と思っていました。

しかし、それが母の逆鱗に触れてしまったのです。

帰ってきた母に「洗濯物は15時に、家に入れた?」と確認されました。

私は「うん、しまったよ」と答えました。

すると母は、「あやしい…」と言って、洗濯物をさわり始めました。

母は「この乾き方は、15時に取り込んだ乾き方じゃない!!15時すぎたでしょう!」と私に怒鳴りました。

私は心のなかで「え〜そこまで気にするの?!」とびっくりしました。

凄んでくる母が怖くて、私は「15時30分だったかもしれない…」と正直に答えました。

すると母は、「ほら!お前は言われたこともできない!!」と怒鳴りました。

母は、「15時と言われたら、15時にやりなさい!14時30分でもダメよ!15時30分でもダメなのよ!これだと洗濯物が湿気ってしまうじゃない!!」と叫びました。

私は、怖くて頷くことしかできませんでした。

その後、私も洗濯物を触りました。洗濯物は、完全にしっかり乾いていました。

正直私は「お母さん、こだわりが強すぎる…ちょっとおかしくないかな…?」と思いました。

しかし、母には言えません。

なぜなら、何倍にもなって返ってくるからです。

母から「そんなことない!常識がなくて、おかしいのは、あなた!!」と感情的に怒られます。また、私が「お母さん、こだわりが強いよ」と言ったら、母は、必ず機嫌が悪くなるでしょう。

すると、私の箸の上げ下げも気に食わなくなります。

そして、ますます怒られるのです。

そのため、私は、母に何か言われても抵抗しないようになりました。

その結果、20歳過ぎても、母に過干渉をされることを受け入れ続けたのです。

しかし、そんな私も20代でオーストラリアに留学しました。

その時に「あれ?ママンが過干渉なのもおかしいけど、私も過干渉を受け入れ続けるのもおかしくない?」と気づきました。

それは留学中に、母が私の住んでいたシェアハウスに遊びに来たときでした。

母と私で洗濯物を干していました。

すると母はいつものように「この角度だと洗濯物が乾きにくいわ…」と言い出したのです。

昔の私だったら、母の言われた通りに従っていたことでしょう。

しかし、その時の私は、自分で働いて貯めたお金で、学費も生活費も払っていました。

自立して自活していたのです。

それに、今の私は、日本を離れ、縁もゆかりもない外国の町に住んでいます。慣れない英語を使って、石に齧りつく思いで授業についていってます。

そんな私が、未だに母から洗濯ひとつ気にしないといけないのかな?と思ったとき、私の中で何かがスパーク(?)しました。

「お母さん、前々から思っていたんだけどさ、お母さんは、洗濯物の乾かし方や、乾き方に神経質すぎるんじゃないかな?」

「ここはオーストラリアでね、今は夏で、40℃は軽く超えるの。だから、どんな乾かし方をしても、1,2時間でカラッと乾くのよ。」

「それにね、乾かないなら、乾くまで置いておけばいいじゃない?洗濯物のシワが気になるなら、もう一度洗えばいいじゃない?そんな風に神経質すぎると、お母さんも疲れてしまうんじゃないのかな?」

畳み掛けるように話すと、母は黙ってしまいました。

私は、反撃される!?と思いました。しかし、母は「そうかも知れない…やんのいうことも一理あるわね」と言ったのです。

私は、心の中で「勝訴!!」を掲げました。中学生の自分が、報われた気持ちになりました。

それからでしょうか、母は、私の過干渉を徐々にやめていきました…という夢の話にはなりませんでした。

留学が終わった私は日本に戻り、実家に住み始めました。すると、また過干渉をされる日々が始まったのです。

洗濯物で私に意見できなくなった母は、今度は、私の所作に、口を出すようになりました。

「やんの歩き方は、足を広げすぎて、どしどし歩きすぎ!」

「やんの話し方は、わがまますぎる!」

そして、最後には「外国に行ったから、やんは変わった!」と母に言われるようになりました。

すると、私は心の底から「母ちゃんは、やはりおかしいんだな。中学生のころ思っていたことは間違っていなかった…」と確信しました。

すると、あんなに怖かった母が、ただの難癖をつける子どもに見えました。私は「母のそばにいたら、私はおかしくなる…」と気づいたとき、実家を離れることにしました。

そして、私は母の過干渉を受け入れることを完全にやめました。

自分の意見を怖がらずに、伝えることにしました。

「お母さんは、そういう考え方なんだね。でも、私は違うんだよね。私はこうなんだよね」と言い続けました。それで、母の機嫌が悪くなっても、相手にしませんでした。

また、正気なときの母は、まともなことを言う場合もあります。例えば、健康のこととか。そのときは「お母さんの言う通りかもしれないね」と伝えました。

これを、何度も何度もやることによって、やっと母の過干渉は、なくなっていきました。

過干渉な親は、思いもしない方向で、地獄の果てまで追いかけてきます。それを辞めさせるには、物理的に親から離れるだけでなく、自分の意見を言い続ける必要があります。親にコントロールされ続けている人は、これが怖くてできない…でも、自分の人生を生きるために、心に角材をもって抵抗していきましょう!一緒にがんばっていこうね!(´;ω;`)

おわり

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牛乳パックを冷蔵庫にしまう場合、薄いビニール袋にいれて置かないといけませんでした。


母曰く、汚いからです。


これを忘れると般若の如く怒られました。


もし、そうであるならビール缶も麺つゆのボトルも汚いはずなのに、それはしなくてよかったのです。


私は幼い頃から、矛盾してない?と思ったのですが、母に言えませんでした。


言うと、口答えするな!と怒られるからです。


いつからか、私は怒られたくないし、グチグチ言われたくないので、従うことを選んでいました。


そんな私が、母から解放される時が来ました。


実家をでて、オーストラリアに留学したからです。


私は、過干渉でコントロールフリークの母から離れられたことで、留学生活を満喫していました。


しかし、母(敵はいつでも過干渉をしてきます。







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