【note版】しゅーさんの本棚 〜3・『知里幸惠 アイヌ神謡集』をめぐって〜
こんにちは、しゅーです。
唐突な自分語りで恐縮ですが、今の地に移り住み、まもなく10年目を迎えようとしています。
ぼくの住むところは、日本列島を海で隔てた離島です。
咲きほこる花々と眩しい緑にむせかえる春を経て、蒸しあげられた夏の潮風、北東から吹き下ろすナライで知る秋の訪れ、対岸の富士が凛と聳える冬の蒼さ。……
あのころ8000人近くいた島民は、この10年で1500人も減りました。もう一度会いたいあの顔この顔ーー思い起こし、10年かけて、いつしかぼくは《島民》になっていたことに気付かされます。と、不意に、離れたふるさとが胸を過ぎるのです。18の時に離れ、以来震災のあったあの年に戻ったきり、しばらくきちんと帰っていないなあ、と。
温泉町として名高い北海道のN。
傍目には温泉に付随するあれこれが基幹産業のように見えますが、その実、隣接するM市のベッドタウンとして機能している側面が強い、田舎です。大手製鉄会社のお膝元であるM市は、炉が減ったことで人口が減りに減り、ぼくがいたころと比べ、その都市圏人口は3分の2程度に落ち込みました。もはや、今暮らす島の比ではありません。島暮らしをしていると、なかなか気軽に帰ることもできない、わがふるさと。けれども、なにとなくふるさとのよすがを求め、一冊の本を手にしていました。岩波文庫から出版されている『知里幸惠 アイヌ神謡集』です。
『知里幸惠 アイヌ神謡集』とは
書き起こしたのは、題号にある知里幸惠その人。わがふるさとが産んだアイヌ文学の一等星です。齢十九で斃れた彼女が遺したアイヌ神謡集には、ローマ字で音写されたアイヌ語の表記に加え、日本語訳が並び配されています。この訳文、アイヌの文化と信仰を知悉する幸惠でなければ成せない、妙なる美文です。
さて、「神謡」とある通り、神が自ら謡ったもの(=カムイユカラ)として伝承されているものが、本書にはおさめられています。同語の反復が繰り返し用いられ、声に出すとその格調の高さと不思議なぬくもりを感じる、カムイユカラ。アイヌ語には独自の文字言語がないため、口承で脈々と伝えられてたものが、幸惠の手により、本の中へと封じ込められました。
とりわけ、ぼくも幼いころ口ずさんだ「梟の神の自ら歌った謡」は、その音のうつくしさ・あいらしさも相俟って、胸にほとほとと明かりが灯るようです。冒頭は、こんな感じで始まります。
幸惠の手により「銀の滴ふるふるまわりに、金の滴ふるふるまわりに……」と訳されたこのカムイユカラは、あまねくさいわいを降らせる神のさまが端的に伝わってくるようです。そして、この謡によってあたたかな気持ちにさせられるのは、謡の根幹がアイヌびとのたましいに充ちているからでもあります。この謡の筋立ては、貧しさゆえに周囲から鼻つまみ者にされている子のもとに、神の化身たる梟があらわれ、自ら望んで貧しき子に《狩られた》神が、貧家にさいわいを与えるというもの。
梟の神は、自らが狩られる場面をこう謡います。
いささか自己犠牲の強い梟の神ですが、裏を返せば、アイヌびとの生業とする狩猟の肯定と、それゆえに生命をひとつたりとも蔑ろにしてはならないという態度表明でもあると拝されます。なにより鮮烈なのは、あれだけ周囲から貧しさをばかにされていたにも関わらず、神から賜った宝を集落の者たちに隔てなく施し、さいわいを分かち合う、貧家の者たちの清貧とも言える描写。《悪しき生き方を退け、善くあろうとする》姿勢こそがアイヌびとの誉れであり、たましいそのものなのだ、と語りかけてくるようです。神の行い/神が愛したひとの行いに擬えられたアイヌのたましいは、讃歌となり、きらめきを放つのです。
生きることのなんたるかを、つゆとも知らなかった大学生だったころ。恩師が折にして口にされていた「美しく生きる」ということば。ふるさとの名残りに、その片鱗を見る心地がします。
知里幸惠の哀しみと《結び目》であること
さて、知里幸惠は本書を世に送り出すにあたり、こう記してます。
アイヌびととして生まれ育ち、その生活と信仰をつぶさに知る幸惠は、にもかかわらず受洗し、遂にはクリスト者としてその生を閉じます。「よその御慈悲」という、絶望的な響きさえ湛えたことばの重さに、ぼくは遠く隔たれたふるさとの今を思います。
文字言語を持たなかったがゆえに、残すことの難しかったアイヌ語は、今や母語話者をほぼ喪い、その習俗もまた、込められた意味さえ判然としないまま、形骸的に伝承されています。他方、血みどろの開拓をしてきた者たちは、アイヌびとを「やまとびと」へと「同化」させていったわけですが、かれらの大部分は、善悪という基準を手にそれを推し進めたわけではなかったはずです。
もしもかれらの行いを悪だとするなら、アイヌびとの文化と歴史を簒奪した者の末裔として、ぼくはその罪業を背負うほかないでしょう。けれども、それはほんとうにアイヌびとが望むことなのでしょうか。そして、そんな意識を自覚的に抱いて暮らす者が、あの町に、果たしてどれほどいるというのでしょうか。いまや、町そのものが滅びてゆくのを静かに待っている有様だというのに。
多様性という言葉がもてはやされるようになって久しい昨今。
よのなかは、ひとつに収斂されていくのではなく、それぞれの答えをそれぞれが持つことに重きをおくようになりつつあります。
一面的には、まこと暮らしやすい。
けれどもそれは同時に、異なる思想や定義を野放しにし、無関心の果てに断絶を生む根にもなっています。
白と黒が大手を振ってそこにいたとしても、グレーやオフホワイトの行き場はむしろ損なわれつつある、というのがなんとも皮肉めいていると言えるでしょう。多様とは何なのか。バラバラであることに安住するのではなく、バラバラであるがゆえ、いかにしてその紐帯を担っていくのかーーそれこそが、多様ではなかったのか。……
幸惠の遺した神謡集一冊とってみても、今の世に、両者の結び目でありたいと表明することにすら、ぼくはおそろしさを覚えます。何者かに切りつけられ、血を見るような思いがするからです。けれども、愛の本質がそこに、重く固く、昏いものとして横たわっている。なんとも、こころもとなく思われます。
余談としての『源氏物語』
そういえば、『源氏物語』の最後もまた、このような感じでした。
匂宮と薫という対照的な二人に揺れ、そのどちらをも拒絶することで幕引きをはかった浮舟。彼女は作中で死ぬことすら許されませんでした。恋愛という身近なモチーフで戯画化されているものの、いまを生きるぼくたちの置かれた世界、この宙ぶらりんの状況によく似ています。
白黒の峻別に苛まれた末、墨染の世界、グレーの中で生きる決意をした浮舟ーー当時の出家は社会的な死を意味しますが、これは、浮舟が示した愛の本質、誠実の形式であったように、ぼくには思われてなりません。信仰という仲立ちをもってしなければ、薫のことも、匂宮のことも、また、その間で揺らぐ己をも、認めることができなかったのでしょう。要は、《尼になったこと》が救いなのではなく、薫と匂宮という究極の二項対立の《紐帯として厳とそこにあった》ものが、信仰そのものだったのです。
薫は、最後まで靡くことのない浮舟の姿勢に、匂宮への疑いを強くします。明石中宮によって秘匿されましたが、匂宮が浮舟の生存を知ったのなら、取るべき行動は薫と大差ないように思われます(表出の仕方は異なるだろうけれども)。どこまでいっても己の恋情を先鋭化させた薫の末路を炙り出して、紫式部は筆を擱きます。あまりにも投げやりな、オープンエンドといっていい(未完説もあるけれど、一応に完結したということで語らせてもらいます)。
けれども、これは翻って、ぼくたちの物語ということでもあるのです。
オープンエンドで終わる『源氏物語』は、ぼくたち読み手の生き方で続いてゆきます。先鋭化する薫と匂宮に、信仰を手にした浮舟がどう立ち向かうのか。その愛の重さ固さ、昏さと冷たさに、ぼくは心覚えがあります。
浮舟が尼として生きる道を選んだように、また、幸惠がアイヌびとながら受洗するという決断を下したように、結び目たる矜持を信仰の中から見出しうるのは、さいわいなことなのかもしれません。