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青柳春道という男 ~プロセカイベント"The first concerto"感想文

はじめに

 これは、プロセカ(正式名称『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』)を始めて1ヶ月半ほど経った時点の私がしたためたイベントの感想文です。

 今から綴る内容はあくまで私個人の感想で、これが最適解だとか唯一解とかいう主張をする気は全くありません。
 特定の人物(冬弥の父こと青柳春道)に特化した内容ですが、彼を含めすべての登場人物に対する批判・否定・擁護の意思があるわけでもなく、誰かと何かを議論したいとは思っておらず、自分と違う感想を批判したいとも考えていません。

 まだまだ初心者の域を出ない人間が、思いが昂ったところだけにフォーカスして書いているので、プロセカの諸先輩方からしたら「何言ってんだこいつ」と思うことが多々あるかもしれません。
 それでも、もしあなたが「自分とは違う感想文を読んで面白がるのが好き」とか「初心者が無知なりにあれこれ考えて楽しんでいるのを見るのが好き」だったら、私の稚拙な感想文にぜひお付き合い頂ければ嬉しいです。

 そして何か思うところがあったなら、このエッセイについては捨て置いて、あなた自身のアカウントのSNSやブログなどでご自身のイベントについての感想を綴って欲しいなぁと思います。きっと、その方が楽しいから。


※私は今までにプロセカ関連のエッセイを2本公開しています。この辺りをお読み頂くと、私がどれだけ初心者・どんな楽しみ方をしているかお分かり頂けると思います。

⚠️また、エッセイのリンク→目次以降からイベント"The first concerto"を含む過去のイベント内容(春道に関するネタバレも含む)に触れているので、ご注意下さい⚠️



理想の父親には程遠い

 青柳春道は、Vivid BAD SQUAD(以下、ビビバス)のメンバー・青柳冬弥の父親です。世界的に活躍する著名なクラシック音楽家・ピアニスト・作曲家で、年齢は53歳。ストーリー序盤では、冬弥にとっての春道は「自分の音楽を批判し拒絶する存在」であり「いまだにクラシック音楽に自分を引き戻そうとする存在」であり、「乗り越えられない壁」として描かれています。

右が春道。ストーリー中の記載は「冬弥の父」(“Period of NOCTURNE”より)

 一方、冬弥と同じビビバスに所属する杏の父・元ミュージシャンの謙は「音楽を愛する若者の憧れであり最大の理解者で支援者」という理想の父親像。こはねの父は、心配性で子煩悩な優しいパパと言った可愛らしい描かれ方。(彰人の父については、ビビバスのメインストーリーとの関連性があまり高くないので一旦置いておきましょう。)
 こうして見ると、春道はビビバス初期のストーリーにおける悪役と言っても過言でありません。

杏と杏の父・謙の関係性は(プロセカに登場する親子としては珍しく)かなり良好。謙は若いミュージシャンの良き相談相手でもある(“Period of NOCTURNE”より)

 ところで、私は前々からシニアが活躍するコンテンツがとても好きです(そちらについては以下のエッセイで取り上げたので、説明はそちらに任せるとして……)。

 春道はまだ53歳で、シニアと呼ぶには年齢が足りません。それでも、プロセカではいわゆる「老害」(嫌な言葉ですね)というシニアの役割を担っています。そこに元々の趣味嗜好が重なって、どうしても私は、春道のことを「ただの邪魔な毒親」と見限ることが出来なかったのです。

 そんな私にとって"The first concerto"は、冬弥の成長を描いたものであると同時に、春道の成長ストーリーでもありました。


ストーリーから考察する青柳春道の人生・人間性

 そんな春道は、登場する度に良くも悪くも存在感を残します。初登場の“Period of NOCTURNE”、その後にスッと出て来た“Find A Way Out”、そして大きな成長を見せた"The first concerto"。
 これらのストーリーでの描写をかき集めて、春道がどんな人生を送って来たどんな人なのか、まずは私なりに考えてみました。

 以下、”・”以下はストーリーで表現されていたこと、”→”以下は私の考察です。あくまで個人の感想だという点を踏まえてお読み頂けると嬉しいです。

※時系列はばらばら、関連する内容同士で纏めて書いています。


  • 世界的に著名なクラシック音楽の作曲家、ピアニスト。クラシック音楽がどれだけ人生を豊かにしてくれるのか身をもって知っている。

     春道の人生は「クラシック音楽での成功体験」が土台であり全てである可能性が高く、クラシック音楽が価値観の中心にありそう。そのため、「冬弥のクラシック音楽に対する拒絶=自分の人生(と春道自身)に対する拒絶」と認識していそう。
     マズローの欲求階層説で言うところの高次欲求、「承認欲求(他者から価値ある存在だと認められたい)」や「自己実現(自分の才能を生かして創作活動をしたい)」を、クラシック音楽でがっつり満たしているように見える。
     そういう意味では、もしかしたら、クラシック音楽以外で他者や外の世界とつながる方法を知らない・経験がないのかも?

  • ストリート音楽を「子どもだまし」「馬鹿げたもの」「雑音」と表現。冬弥の人生に何も残さないものだと認識している。

     ストリート音楽をそもそも音楽として認めておらず、「自分が嫌いなもの、相容れないものは徹底的に拒絶する」という思考の癖が定着してるっぽい。

冬弥の父に対する悩みを聞くミクさんが言うこの台詞。「親子」という概念を知っていても体感・経験はしていないバーチャルシンガーならではのフラットな視点で、ハッとしました。(“Period of NOCTURNE”より)
  • 息子3人を自ら指導し、うち2人はクラシック音楽で成功。ドイツでコンサートに出演するなど現在も活躍中。

  • 冬弥に対し、怪我をする可能性がある学校行事に参加させない・友人と遊ぶ暇も与えずピアノの練習をさせる等のストイックすぎる教育を施した

  • 春道自身も、世界中の仕事を断ってでも冬弥への指導に時間を充てていた。

  • 冬弥の演奏に対して「お前なら音楽の真髄に辿り着ける」と思えるまでに、冬弥の演奏スキルを上げることが出来た。

     名プレイヤーが必ずしも優れた指導者になれるとは限らない。春道は、プレイヤーとして最高峰であると同時に、教育者として自分の経験やスキルを他者に伝え習得させることが出来る稀有な存在。
     もしかしたら、春道自身は感覚派や天才肌ではなく、圧倒的な努力や知識・勉強量で今の地位まで上り詰めたストイックな音楽家なのかも。「自分の成功=自分の努力の結果」だからこそ自身の成功に根拠があり、それが揺るぎない自信につながっている。
     
    そして、同じように(またはそれ以上に徹底的に)やれば息子たちも自分と同じく成功出来る、(精神的・経済的に)豊かな人生=幸せな人生を歩めると思っているのでは。

広々した青柳家のリビングも、おそらく春道が自分の力で得たもの。その美しい家に響く、春道のストーリー上の第一声「遅い」が辛いです。(“Period of NOCTURNE”より)
  • 冬弥への音楽指導の際、「ちゃんと弾けるようになるまで寝られると思うな」「リズムが違う、もう一度だ」等の完璧主義を貫いている。

  • 冬弥が初作曲した曲をライブで披露し、「仲間を喜ばせることが出来て嬉しかった」と報告したのに対し、「その程度でやり遂げたような顔をするな、見知った相手に(楽曲の良さや自分の実力を)認めさせるのは当然だ」といった旨の返事をする。

     音楽の完成度に対する要求レベルが高く、春道自身の音楽活動もその価値観に基づいている様子がうかがえる。それゆえに「自分の音楽への要求レベル=冬弥への要求レベル」を強いてしまった。冬弥をほとんど褒めなかったのもそこに由来するのかも(しれないし、そうなると春道自身も自分を褒めたことがないかもしれない)。

要求水準が高く、褒めてくれないおじさん。でも、音楽についての口論ではなく会話が出来るようになった時点で、春道は成長していると言えますね。(“Find A Way Out”より)
  • 冬弥の母・兄たちは春道を尊敬しており、家族関係は悪化していない。

  • 一方、冬弥とは音楽活動についての言い争いが絶えない時期が長かった。

  • 冬弥から「父さんのピアノが好きです」「クラシックを教えてくれてありがとうございました」と言ってもらえて、やっとこさ冬弥のライブをこっそり見に行けた。

     自分を尊敬してくれる相手との関係構築は可能で、相手の期待(いい音楽家であること)にも十分応えられる。一方、自分に敬意を示さない相手に歩み寄る・態度を軟化させる・対話するのは苦手そう。平たく言うとプライドが高い。

  • 食事の後に妻(冬弥の母)に「美味しかったよ」と言うなど、夫婦仲は良好。夫婦の激しい諍い(例えば、冬弥の変化を妻の責任だと責める内容)はストーリーでは描かれていない。

     家事は妻に任せきりのようだし、妻が自分に対して敬語を使っている/冬弥が母に敬語を使わないのを止める様子がないのは気になるが、いわゆるモラハラ夫(妻に対し、言葉や態度による精神的な暴力を振るう夫)ではないみたい。
     音楽の話題でなければ、そこまで高圧的・支配的な態度を取る人ではなく、ただのお堅いおじさんって感じなのかも。

むしろ、妻の手料理に「美味しかったよ」とさらっと言える中高年男性って、日本じゃ珍しいのでは?(“Find A Way Out”より)


“Period of NOCTURNE”の春道は、どうしてああだったのか

・大人は急に変われない

 この考察を通して改めてわかったのは、初登場“Period of NOCTURNE”時点での春道の心境です。

 クラシック音楽で成功しつつ現在も研鑽を積む春道は、クラシック音楽を本当に愛しているのでしょう。そして、その技術を息子たちに伝えることで、クラシック音楽の良さ・自身が人生で感じた幸せを分け与えることに尽力していました。
 2人の息子の成功は、(口には出さずとも)彼の人生における大きな喜びだったに違いありません。そしてクラシック音楽で成功した息子2人の存在は、クラシック音楽に人生を捧げて来た自分の生き方そのものへの肯定、自分の正しさの証明だったんじゃないかと思います。

 そんな中、冬弥だけがクラシック音楽を拒否し、ストリート音楽の世界で友人(春道語録で言うところの「たった一人の悪友」)を作り、夢を見つけ没頭していきます。
 それを見た時の心境を、後になって春道は「絶望に似た感情が芽生えた」と表現しました。きっと春道が感じた「絶望」の中には、自分の人生、価値観、信じて来たもの、美しいと思って来たものの全てを冬弥に否定・拒絶された、という感覚もあったことでしょう。

作曲で悩む冬弥の部屋に現れた春道は、当時についてこう語っていました。("The first concerto"より)

 平べったく言うと、“Period of NOCTURNE”時点での春道は拗ねていた。ずっと拗ねていたから、春道は冬弥に冷たく高圧的・支配的な態度を取っていた。私はそう感じました。大きな権力と高い地位がある大人が拗ねると本当に厄介ですね。

 そんな拗ねた状態だった春道が、冬弥からの歩み寄りの結果、“Period of NOCTURNE”のストーリーの最後で「冬弥のライブを見に行く」という小さな一歩を踏み出せたのです。

 一般的な言い方をすると、子ども・若者は瞬く間に変化・成長する生き物です。そして、彼らの成長段階の至る所では色んな人が手を貸してくれます。誰かしらが助けてくれ、努力や成長に気付いて褒めてくれます。

 例えば、サッカーばかりやっていた男の子が夏祭りで見かけたライブをきっかけに音楽に目覚めたり。内気で憶病な女の子が、名前も知らない女の子との出会いをきっかけにステージに立って大勢を魅了する歌声を響かせるまでになったり。
 子ども・若者というのは、ちょっとした刺激に感化され一気に世界をこじ開けることが出来る、奇跡の塊みたいな生き物です。

ビビバスのメンバーのことは、現実世界の人だけでなくバーチャルシンガーたちも応援しています。そして成長に気付いて褒めてくれる人も居る。("Same Dreams, Same Colors"より)

 でも、長い時間をかけて思考の癖を築き上げ、成功体験由来の確固たる自信と価値観をカチカチに醸成してしまった大人はちょっとやそっとじゃ変化しません。大人とは、「よし、変わるぞ!」と自分で考えて動いてやっと少しだけ成長出来る生き物です。
 もちろん、大人になればなるほど寛容になる・勉強熱心になる人も居ます。過去の経験がゆえの対応力や優しさを持ち合わせた大人も大勢居ます。
 過去は人間にとって大切な命綱です。しかし、それと同時に過去は足かせにもなります。過去の蓄積で凝り固まった自分を「変化させる」のは、大人にとって一苦労なのです。

 そんな大人の成長を手助けし、良い変化をもたらしてくれる人は滅多に現れません。仕事・業務上ではなく、プライベートな「人生における成長」であればますますそう。それが世界的な音楽家相手であれば、軽率に彼に何かを進言出来る人なんか居ないはず。
 春道に今更「ピアノが上手ですね」と言う人は居ないでしょうし、逆に「今の演奏は〇〇が良くなかった」とアドバイスしてくれる人も居ないでしょう。春道のようにお堅い性格であれば、プライベートの弱みを仕事相手に打ち明けることもなさそうですから、八方ふさがりです。

 だからこそ、春道の成長は奇跡と言ってもおかしくないんです。「頑なな中高年男性の成長」という奇跡を、春道はやってのけました。他ならぬ彼の息子、冬弥が手を差し伸べてくれたおかげで。
 冬弥が息子でよかったね、春道。冬弥に仲間が居てよかったね、春道。


・大人は急に変われない、でも……

 クラシック音楽畑で育った品のいいお堅い中年男性が、息子が出演するライブを見るためだけにシブヤのライブハウスへ向かう……。想像するだけでドラマチックです。

こんな狭い箱、春道の世界にはなかったでしょう……?そもそも、春道はビビットストリートに近寄ったことがなかったかも。(“Period of NOCTURNE”より)

 ライブハウスあるあるの「ドリンク代〇百円」はちゃんと用意して出かけたんでしょうか。狭いライブハウスの階段(壁の両側にフライヤーがベタベタ貼ってあるあの感じ)を抜けて天井の低い会場に足を踏み入れ、自分にとって嫌で嫌で仕方ないジャンルの曲を小さな小さなステージで歌う冬弥を見た時、春道はどんな心境だったんでしょう。

 ピアノの前に座っていた幼い息子と、マイクを持って声を上げる高校生になった息子は、どちらが輝いて見えたんでしょう。

 冬弥のライブを見ながら生まれた感情全部をひっくるめて、「ああいう音楽の良さはわからない」と口に出せた春道はちっとも理想の父親ではありません。理想の父親なら、ここで冬弥の歌の上手さを褒めたり、自分のこれまでの酷い物言いを謝ったりしたはずです。
 春道は理想の父親ではないから、そうした理想的な言動は出来ませんでした。

春道、お前……!ライブ見に来てたんかい……!(“Period of NOCTURNE”より)

 それでも彼は、音楽家・青柳春道ではなく「冬弥の父」としての小さな一歩を踏み出せたんだと思います。
 そのおかげで、次の登場ストーリー“Find A Way Out”では冬弥の音楽活動について厳しいことは言えど口論はしないところまで成長し、更に"The first concerto"で大飛躍するわけです。


"The first concerto"に見る「冬弥の父」としての青柳春道

 泣きました。端的に言って、私は号泣しました。

 おかしいな。最初はただ、ボカロ曲で音ゲーが出来るなんてサイコー! って気持ちでプロセカを始めたはずだったのに。どうして私は泣きながら春道の言葉を聞いているんだろう……?
 メインキャラじゃないんだけどなあ、青柳春道。

 ビビバス、そしてビビットストリートで音楽活動をする若手ミュージシャンの夢である「RAD WEEKENDを越える」ためのイベントで歌う曲を1人で作曲する。そんな重責に耐え兼ねた冬弥は、自分の作曲が上手く行かなかった理由を「クラシック音楽から逃げて来た後ろめたさ」だと感じていました。

 そんな悩める息子に対して春道が答えた言葉の、なんとまあ美しいこと。

 春道のような中年男性にとって、自分のこれまでの人生の痛みを振り返ること・それを言語化することは簡単ではないはずです。ましてや、痛みのきっかけになった冬弥の前ではなおさらに。
 春道は語りました。冬弥が12歳まで何もかもを捨ててクラシック音楽に人生を捧げて来た過去は、他の誰とだって戦える冬弥自身の武器になること。その過去は、辛いだけのものではなかったはずだということ。そして……。

 本当なら、ここに全ての言葉を書き残しておきたいくらいなのですが、特に、特に好きな台詞だけを残しておきます(途中省略有り)。

「私は――」
「クラシックに人生を捧げてきたお前の日々を、美しく、誇らしいものだと思っている」
「あの日々は、どんな結末を迎えたとしても、決してうしろ暗いものではない」
「失われることのない、お前だけの誇りだ」

("The first concerto"より)

 過去が足かせではなく、命綱になった瞬間。これは間違いなく冬弥に向けられた言葉です。そしてこの美しい言葉は、私には「冬弥に12年間付きっきりで音楽を教え続けた春道自身の人生について語っている言葉」にも聞こえました。
 息子と過ごした12年間を、春道は美しく誇らしいものだと思っていたんだな……と。

 最後に春道が見せた表情は、あまりに優しいものでした。そして、音楽家・青柳春道が「冬弥の父」になった瞬間は、あまりにも美しくて、ちょっぴり切ないものでした。
 音楽を通した蜜月とも言える12年間はこの時本当に幕を閉じ、父と息子は本当の意味で別々の道を歩み始めた。その事実を、春道自身が受け入れたのですから。

(この場面、春道がとてもいい表情をしていたので、ぜひゲーム内でご確認下さい。音声もあわせてぜひ。)

イベントのトップページ、冬弥の表情が晴れやかで良いです。それ、どこのメーカーのヘッドフォン? オーディオテクニカ?("The first concerto"より)


青柳春道の今後を想像する

 春道は、冬弥のおかげで少しずつ「冬弥の父」として成長しています。彼はこれから、どんな人生を送るのでしょう。ビビバスが夢を叶えた時、春道がどんなエンドを迎えるのか想像してみました。

(1)本命:「悪くなかった」エンド
 ビビバスが開催するイベントに招待された春道。今度はステージ上の冬弥も父の存在を目視出来た。イベント後、会場または青柳家のリビングで冬弥からイベントの感想を聞かれ、「悪くなかった」と答える。
(「悪くなかった」は、かつての冬弥のピアノ演奏を聴いた際に春道が発した最大限の褒め言葉。)

(2)なくはないかも:イベント参加エンド
 ビビバスが開催するイベントになんやかんやで参加する。もちろんクラシックピアノで。イベントに出演しなくても、ビビバスの楽曲にピアノの音だけ提供する……ならあり得そう。
 これをきっかけにビビットストリートのストリート音楽にもクラシック音楽の影響が出て、ストリート×クラシックという新しいジャンルが爆誕。この新ジャンルも格好いいと話題になり、ビビットストリートがさらに盛り上がる。(が、春道はそれを知らない。)

(3)なくはないけどないだろう:イベントを見届けずに死亡エンド
 プロセカの世界は「よくわからんが治ったり治らなかったり死に至ったりする病気」にかかっている人が多く、ビビバスのストーリーでもそういったキャラクターが何人か見受けられます。
 そうなると、春道も例外とは言えません。
 RAD WEEKENDが「凪の最期を飾るイベント」という熱量を帯びたものだったとしたら、誰かの死をきっかけにビビバスのイベントが熱くなるという可能性もゼロじゃない。そうなると、冬弥が「イベントを見届けることなく亡くなった自分の父に届けたい」みたいな思いでステージに上がる……なんて筋書きもあり得ます。
 でも、春道はストーリー上でそこまで重要な位置にはならないだろうから、多分生存エンドでしょう。(メタ的に言えば、出しゃばりすぎるとノイズになる機能性のキャラクターだと思うので。)

(4)大穴:青柳春道、ストリートミュージシャンに転向
 年を重ねてから知る新しい世界、それは沼への入り口だから……。


おわりに

 プロセカを始めたばかりの頃は、青柳春道についてこんなに綴ってしまう日が来るなんて思っても居ませんでした。
 彼が登場する度に「嫌な奴だなあ」と思い、「どうしてこんなに頑ななんだろう」と紐解くうちに次第に彼に興味が湧き、冬弥を通して見る春道の成長物語に涙するようになるなんて。プロセカって面白いゲームですね。

 音ゲーの方はまだまだ下手くそなのですが(今はHARDでえんやこら頑張ってます)、色んな楽しみ方が出来るのは良いことですね。これからも、のんびり楽しんで行きたいと思う次第です。

 そして、最後に改めて。
 これまでの内容はあくまで私個人の感想で、これが最適解だとか唯一解とかいう主張をする気は全くありません。青柳春道に特化した内容ですが、彼を含めすべての登場人物に対する批判・否定・擁護の意思があるわけでもなく、誰かと何かを議論したいとは思っておらず、自分と違う感想を批判したいとも考えていません。

 もしあなたが、私の稚拙な感想文を読み終えて何か思うところがあったなら、このエッセイについては捨て置いて、あなた自身のアカウントのSNSやブログなどでご自身のイベントについての感想を綴って欲しいなぁと思います。きっと、その方が楽しいから。


おまけ:関連情報あれこれ

  • イベント・メインストーリーについては、プロセカの公式YouTubeチャンネルにて公開されています。ゲームアプリを開けないけどストーリーが読みたい、そんな時にはぜひご利用ください。

※"The first concerto"も公開が始まりました。

  • 公式noteに関連記事がありました。

  • 冬弥が所属するビビバスは2024/2/21にアルバム『Vivid BAD SQUAD SEKAI ALBUM vol.2』をリリースしています。まだ聴く前だよという方はこちらでチェック!👇

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  • これまでに書いたプロセカ関連のエッセイを置いておきます。ご興味あればぜひどうぞ。

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・開催終了したイベントストーリー

プロジェクトセカイ二次創作ガイドラインより

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その他、矢向のゲーム感想文はこちら。

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© 2024 Aki Yamukai

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