りむ

140文字では収まらなかった僕の脳内を、1000文字程度でブログ、エッセイ式に発信する場所です

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最近の記事

長い夜と静けさと寂しさと

最近体調のせいかはたまたメンタルのせいなのか、眠りにつきにくいと感じることが多くて、夜がいつも長いと感じる。いつもなら好きな長い夜も、ただただ静かで、ただただ寂しい。 枕を抱き締めながらぽーっと考え事をしている間に時間が過ぎていく。今日なんかは特に。 そうしている間に日を越してしまいそう。もしかしたら、こうして寂しさに耐えきれず文章を書いているうちに、日を跨ぐことになるかもしれない。寝ようと思ったのは6時だったのに。 それくらいには眠れない。明日のことを考えているうちに明

    • 承認欲求

      昨日書いていた途中で飽きてやめちゃった分ですがせっかく書いたので載せておきます。 最近、TwitterとかYouTubeとかツイキャスとか、要はSNSでの活動をすることの理由を考え出した。 理由が夢だとしたら、それは非現実的。 まだなんの実力も身に付いていないのに夢が叶うわけもない。 理由が夢への第1歩、将来に向けての経験を積むことだとしたら、それは無責任。 ひとつひとつの工程を大切にしていかないと、これからの将来やっていけるわけがない。 理由が人と喋りたいから、友達

      • もしも消えてしまったのなら

        朽ちる花。溶ける魔法。落ちていく太陽。 コメントも含め、前の記事で話したこと。 忘れられる感覚がする。自分以外が、そして自分さえも信用ならなくてどうしていいか分からない。次花が咲くとしたのなら、その花はきっと、僕ではないのだろうけど、でもそういう妄想をしてしまう。今現在に対してのデメリットは浮かぶのに、このままでいるメリットが浮かばない。 でも未来はまだ希望があると、信じてしまう。 それとここ数日は、夢が夢で無くなる感覚がした。もしも僕のやりたいことに才能や、それを身に付け

        • 枯れていく

          最近少しメンタルが落ちてきた。 そのせいか、ネガティブになりがちで、周りの人間が羨ましくて、それでいて妬ましくて。 才能だとか、努力だとか、数字だとか、そういうことばかりに悩んでいる。文字にすると余計に、どれだけ僕が惨めで滑稽な状態なのかよく分かる。 少しでもしんどくなると、すぐに周りは心配してくれる。リプやDMで大丈夫?というような心配の言葉を何人かに言っていただけて、なんでこんなにも優しい人が僕の周りには沢山居るのだと驚いた。まぁというより、周りが優し過ぎて余計己が滑稽

          躁鬱

          数週間前、所謂躁鬱、双極性障害の〝躁〟の部分が出てきてしまって、珍しくドーパミンに溺れていた。 そうなれば脳内は、本当に脳内麻薬という感じで、生きていることの幸福感と感謝に満たされて狂ってしまいそうになる。教祖にでもなりそうな程に幸せしか浮かばない。母に産んでくれてありがとう。親に育ててくれてありがとう。なんて幸せなんだろう、こんなにも充たされていて幸せな環境を日常的に味わえるだなんて。幸福感と、それに対する感謝。永遠にそう。 幸せで、楽しくて、自分ならなんでも出来てしまう

          一時的な失感情症、離人症

          私はたまに、失感情症(アレキシサイミア)という状態になることがある。読んで字の如く、感情を失う、つまりは自分の感情を理解し難くなるのだ。 感情以外にも、どうしてこれを好きだと思っているのか、何故これが嫌いなのかという、好き嫌いが分からなくなる。 主に深夜。考え事をしているとよく、自分を見失う…、この言葉が相応しい状態に陥るのだ。 大好きなものを、「好きだったよな」、苦手なものを「苦手だったよな」、と、まるで小説を読んでいるかのように、己のことではないようにしか思う事が出来

          一時的な失感情症、離人症

          最近の躁鬱状態について

          躁鬱。 きっと僕は躁鬱か、もしくはその傾向があるのだ。正式名称は双極性障害。何ヶ月か毎なんかで鬱だったり躁だったり、情緒が落ち着かない精神系の病気。鬱と違うのは、活力に満ち溢れて幸せになる「躁」状態があること。 活力があって幸せなら、それで良いのではと思うのだろうが、そうもいかない。勿論鬱も厄介なのだが、躁だって厄介な状態なのだ。 一言で言えばきっと、幸せ過ぎる。 充たされ過ぎて、もうこの世界から消えても、今なら良いかも知れないと、思ってしまう程には幸せになる。ドーパミ

          最近の躁鬱状態について

          散歩

          久々に散歩に行ってきた。 昼過ぎだというのに、わざわざ駅まで行って岡山へ。 移動に大分時間を掛けた為、歩数が久々に1万を越えた。昼から8時前までがっつり運動したものだから、きっと明日は当たり前だけど身体中筋肉痛。 まずまず僕は久々に歩いたのだし。 駅の一番街をぶらぶらして、良さげな服にも出会えた。まぁ買いはしなかったが。 前は紫と黒のファッションを好んでいたのだが、最近はビタミンカラーや蛍光色、サイバー系が着たい気分。 特にこんな感じのカラー。 ファッション的には、マネ

          詩の練習

          ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 青空を見あげて、耳を済ませてごらん きっと星が、貴方を待っている。 からんころん、からんころん。 音を鳴らして待っている。 からんころんからんころん。 聞こえなくても待っている からん、ころん。 青空の奥で待っている。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 現状、僕が書ける詩はこんな感じの小学生の頃授業で書いた詩となんら変わらないのですが、昔教科書で読んでから金子みすゞさんの何に対してもやさしい詩が大好きで、いつも学校図書館で詩集を借りて読んでは、毎回すごく癒されてい

          詩の練習

          依存について

          何か頼れる物が無いと、生きていけないという人が、この周りを気にしていないと生きていけない、精神疲労が募るばかりの現代には大勢いる。 特に、『毒親』と呼ばれる様な親を持つ人間や、インターネットを子供の頃からしている人間。 このような人間は、自分で判断することを諦めたり、周りからの承認を求めるようになり、周りに判断を委ねがちになるような環境で育っている。あくまで傾向なのだが。 そして、〝周りに判断を委ねる〟ということは、〝自分で物事を判断することが出来ない〟ということだ。例え

          依存について