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左手と会話するようになった日③


第四章:卒業

■包帯の日々

右手の包帯を取る日が近づいていた。最後の診察で医師からは、「もう大丈夫そうですね」と太鼓判を押されていた。

「よかったわね。あと少しだって」

左手が、嬉しそうに言う。これまで何度も交わしてきた会話。最初は戸惑っていた声も、今ではとても安心できる存在になっていた。

日常の一部になっていた左手との対話。治ったからといって、何かが変わるわけじゃない。でも、どこか落ち着かない不思議な気持ちがあった。

「ありがとう。ようやく今までの生活に戻れそうだよ。いや、今まで以上かな?」

その言葉に、思わず笑みがこぼれた。

■最後の会話

診察の帰り道、久しぶりに寄った公園のベンチに腰掛けた。夕暮れの柔らかな光が、右手の包帯を優しく照らしている。

「私の役目は、そろそろ終わったわね。おめでとう」

いつもの優しい声。でも、どこか晴れやかな響きがあった。

「役目って...」

「私も暇じゃないのよ。もう十分一人でやっていけるわよ」

左手がいつものように、少し照れ隠しの強気な調子で言う。

■新しい始まり

いつもの強気な口調なのに、何だか寂しそうに感じる。不思議だ。最初は戸惑いばかりだった左手との会話が、今では私の大切な思い出になっている。

「よく考えてみて、そもそも左手と会話している方が不自然なんだからね」

いつもの調子で突っかかってくる左手に、思わず吹き出してしまう。

「ほら、笑顔の方が似合うでしょう?さ、帰りましょ。明日からは新しい毎日の始まりよ」

一抹の寂しさと、そもそも左手と話していたということを考えた時のおかしさと、新たなチカラを手に入れた自分の可能性など複雑な気持ちが渦を巻いていたが、この先の可能性を思って前を向くことにした。

■エピローグ

あれから半年が経った。左手でのマウス操作はすっかり板についた。時々、誰もいないオフィスで「今日も頑張ってるわね」という声が聞こえた気がする時もあるが、気のせいだろう。

右手と左手を使い分けながら、それぞれの得意分野で活かしていく。図解を使った説明は、チーム内でも定着してきた。最近では、新しく入社したメンバーのメンターも任されている。いつしか表情や受け答えも成長して、不思議と考え方もずいぶんポジティブになっていた。

「左手と話していた」という不思議な体験は、誰にも話していない。でも、あの時の会話が、私に新しい可能性を教えてくれたのは確かだ。

マウスは1つのまま。でも、場面によって左右の手を使い分けながら、私は今日も仕事を進めている。

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