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筑波大学で4年間過ごしてみて感じたこと(1/4)


胸が踊りに踊った大学1年生春

筑波大学情報メディア創成学類への入学


なぜか感動した筑波大学の噴水

「僕の場合は授業の課題をこなしていくうちにプログラミングに慣れて、人並みにコードが書けるようになりました。」


確か当時学類4年の人が新入生の僕たちに企画してくれたオンライン新入生歓迎会だったと思います。

4個上の人の言葉に胸が高鳴りました。
コードをスラスラと書きながらプログラミングをしている4年後の自分の姿を想像したときの強烈な希望とワクワク感は今でもハッキリ覚えています。


言ってることひとつも理解できないのに落合陽一のこと好きだった時期に撮ったやつ

落合陽一という、名前だけ知ってるが何をしているか分からない凄そうな人がいる学類。現代の魔法使い?何だかよく分からんが自分も魔法を使えるようになりたい。魔法の道具を開発したい。
(今思えばすごくミーハーですね)
この学類で一生懸命学んで先輩のように、英語でも数式でもないよく分からない魔法の文字列を書いて何かを動かせるようになりたい。

そう強く決心して下腹にグッと力を入れました。


体育会テニス部に入部

初めてみた7面テニスコート

テニスは中学の部活から始めました。
公立の中学で運動場の延長にある端にネットを立てただけのテニスコートが1面。
そこに部員が40人ほどいて並んで順番を待つという部活でした。
ユニバの女子トイレくらい並んだかと思えば、3球目でミスをしてまた最後列に並び直すという部活でした。
高校も変わらず土コート1面で、決して良くないコート状態でした。
これまで綺麗な環境でテニスをしたことがなかった自分は筑波の7面テニスコートを初めてみた時、度肝を抜かれ、ここで球を打ってる自分を想像するだけでも胸が高まりました。
強い人の球を受けてみたい
たったこれだけの理由でした。

大学に入ると迷わず部活に入りました。
1回の練習は4時間あったので文武両道できるように授業と部活どっちも頑張ろうと思っていました。
ただ、大学4年間を部活に捧げる気は入る前からなかったので、他にやりたいことが見つかれば普通にやめよう、くらいに思っていたのを覚えています。

そうして自分の大学のテニス生活も同時にスタートを切ったのでした。

テニス部同期、爆誕

部活のスタートを切ると同時に既につくばに住んでいたテニス部同期と会い友達になりました。
かっぱ寿司の食べ放題に行ったり、朝まで大富豪をしたり、賭けマラソンをしたり。
夜18時に鍋の具材を持って友達の家に行きみんなで食べる。食べ終わると誰が皿を洗うかの大富豪が始まる。途中でスマブラなども挟みながら早朝、カラスが鳴き始めた頃に家を出る。
そんな毎日を過ごしました。
大学での初めての友達だったので、つくばという土地が急に楽しい場所になりました。
今思うと、かけがえのない日々だったのだと思います。
国内旅行や海外旅行とかより、まさに「今しかできないこと」でした。
ただ過ごしている本人達は当時はそれが当たり前の日常でした。
そう考えると人間というのは、ユートピアを目指すものの実際にユートピアにいる時は分からない生き物なのだなと思います。


虚無の生活

大学の講義

コロナの影響でやっと始まったと思った授業は全てオンライン
情報数学の基礎や通信の仕組み、プログラミングの演習など、全てが初めて学ぶ内容でした。

序盤は情報分野の概論のようなざっくりした説明が多かったのでついていけてましたが、内容が複雑になるにつれ少しずつ理解できない部分が増えていきました。
また学類の人と対面で会う機会がないということもあり、気軽に話せるような学類の友達はできないままでした。

授業で分からないことがあっても「ここ分からんねんけどできたー?」などと軽く質問することも出来ず、かといって何度授業資料を見直しても理解できない。
徐々に自分の中で「分からない」を放置するようになっていきました。

小さな「分からない」が積み重なると、当然それは真っ黒のどデカい怪物のような様相を呈してきます。
手をつけようとしても本当に全く手がでない。けれども課題の締め切りは刻々と迫ってくる。

どうせ分からないから授業動画は倍速で見て、最後にネットで調べて出てきたコードをコピペしてちょっと変えて提出する。
教科書の最後にある答えをたまにわざと間違えながら丸写しする。
そんなことを繰り返していると事態はどんどん悪化していくに決まってます。

気づけば大学の授業が嫌いになっていきました。
課題は締め切り直前になるまで、見て見ぬふり。
いざ直前になると手段は選ばず最短で提出するというところだけを目指すように。

けれど、そんな答えを写している時でも、
「この人たちのようにコードが書けるようになりたい」
と、あの新歓の時に初めて抱いた想いはずっと胸の奥にありました。

だからこそ、目指しているところから逆行してしまう自分に対して、不甲斐ない気持ちと腹立たしい気持ちがちょうど半分ずつ混ざったような、粘り気のあるしんどさを常に感じていたのだと思います。

オンライン授業のときは、よくテーブルにzoomを繋げたPCを置いて、横にあるベッドに寝転んで天井を眺めていました。

「世の中の”できないやつ”って、やる気がないのではなくて、どう頑張ればいいかが本当に分からないからなのかな」

「デキナイヤツ」という言葉が枕の横にストンっと落ちます。
あくまで他人事かのように”できないやつ”を考察していました。
自分事とは捉えたくなかったんだと思います。
自分のことを”できないやつ”と真正面から認めてしまうのが怖かったので。

部活の生活

そんな地獄が繰り広げられている一方で、部活はどうだったか。

強い人と打ってみたい、という願望はすぐに達成されました。
A,B,Cチームとあるのですが、やはりAの人の球は今まで受けたことがないくらいズッシリとして重く、そして速かったです。

色んな先輩方とも話をして、これまでテニスにかけてきた時間、想い、部活で何を達成したいかなど色んなことを聞けました。
これまで僕にとってのテニスは趣味の範疇を越えたことがなく、あくまで勉強のストレス発散のための手段でした。テニススクールに行ったことがないのもそれが理由です。ストレス発散なら学校の一時間半の部活で十分です。それ以上は必要ありませんでした。
だからコーチの苦しい練習に耐え、しんどい思いをしながら優勝するというような話を聞いたときは、テニスには僕の知らない一面もあるのだなと思いました。

また、「絶対に俺が筑波を一部に昇格させる」と言っていた先輩の姿勢はとてもカッコよく見えました
僕はそのような一本槍のような強い目標を持って戦うという経験をしたことがなかったからです。
目つきが鋭く、使命を背負っているような大きな背中は強く自分の脳裏に焼き付きました。

ただ、その中で「やり抜く」と「ただ耐え切る」をごちゃ混ぜにしている人も一定数いることもだんだん分かってきました。
目標もなくただ部活を4年間耐え切ったら何かを得れるだろうという考え方で日々の部活を耐えているのです。
この頑張り方は自分の中で腑に落ちず理解できなかったです。
これまでの自分の経験の中の話ですが、何かを得るために必要なのは「何らかの目標をもとにした行動」であって「単なる時間の経過」ではないと考えていたからです。
(この考え方は今でも変わっていません)
自分の考え方は「しんどいならやめればいい」し、「別でやりたいことがあるならそれをやればいい」、そして「しんどいことを目的なく耐えた先は虚無だろう」です。今もこれをベースに行動しているつもりです。

そして、こんなご立派な考えを持って達観したようなふりをしながら周りを見ていた自分もまさに部活に対しての目標はないままでした。
(一番恥ずかしくダサいやつ、、)
リーグのメンバーになるのは実力的にあまりにも現実味がなく、かといってチームのために大学生活を全て賭けるほどテニスに情熱がない。
部活の中で、自分を突き動かすような具体的な目標は持てないままでした。
自分に目標がないからこそ、同じように目標がない他の人がどういうモチベーションで部活をしているのかが気になりました。
そしてその返答が「ただ耐えたら4年後いいことあるよ」だったので拍子抜けしたんだと思います。

慣れの怖さ

そして、人は慣れます
自分にも慣れがきました。
そのような環境もすぐに当たり前になりました。
目標がないのにただ耐えても意味がない、と分かりながらも目標が見つからず、他にもやりたいことが見つからないのでただ部活を続ける。
新鮮なことで溢れていた部活は一気に、自分の大量の時間を溶かすものに変化していきました。「向上する時間」ではなく「耐える時間」に。

6限の授業が終わったらすぐにテニスコートに向かいテニスをする。
22時、家に帰ったら放置していた締め切り間際の課題を無理やり提出して終わらせる。
課題をそんなふうに適当に扱うのも慣れました。課題を出した後その授業を何にも理解していない自分に違和感も抱かなくなりました
そうして、熱湯でもなく冷め切ってもない微妙なぬるま湯の熱量を持ったまま空虚な多忙にただ身を委ねていました

空っぽで多忙な日々の中での逃げ方

そんな生活の中で、部活の忙しさと授業の大変さで全てを覆い隠して見えないようにし、「しょうがない」というラベルを貼って地獄の現実を見ないようにしている自分がいました。

あいつは部活が大変だから授業が理解できなくてもしょうがない
あいつは他学群の授業が大変だからテニス一筋じゃなくてもしょうがない

とにかく「しょうがない」という言葉が欲しかったんだと思います。
自分の心でもそう言い聞かせてたし、周りにそう言われるような立ち振る舞いをしていたと思います。
部活ではいつも授業のことで忙しそうに。
授業ではいつも部活のことで忙しそうに。
「しょうがない」は、何もできていない自分を肯定してくれるありがたい言葉でした。当時の自分の数少ない味方でした。

そんな感じでテニスも上達しない、大学の授業は何一つ理解できない。
何の収穫もないまま1年が経ち2年生になりました
いきなりどん底で、自分が何者かも分からないような辛い大学生活で1年を終えました。


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