僕が僕として生きている理由
僕は小さい頃から死にたかった。そんな僕がなぜまだ生きているのか、自分で不思議に思うときがある。
そんな時、必ず思うのは、全部推しのおかげだということ。
突然だが、貴方は推しと呼べる人がいるだろうか。僕にはいる。たくさんいる。そんなたくさんの推しは、僕の依存先となり、生きる糧となっている。
常々思うのは、僕は推しが関わっていないことには弱いということ。勉強、仕事、家庭環境、推しと結びつけるのは簡単で、頑張ろうと思うこともある。それなのに、僕の体は動いてくれない。推し事のための時間づくりとか、推しのライブレポートとかは積極的に取り組めるのに。推しに直結していること以外は頑張れない。そんな自分に嫌気がさすのは毎日で。推しは苦労して、努力して、今も活動しているのに。そんな推しのことを僕は応援しているし、尊敬しているのに。推しみたいに頑張れないのはなぜなのか。
推しは僕の人生のすべて。僕が人生を終えるのは、推し事がすべて終わった時で、それは、たくさんいる推しが活動を終えたときであってほしい。僕は長く生きるつもりはないけれど、推しには満足して活動を終えてほしい。推しに味方がいなくなったとしても、僕だけは推しの味方でいたい。そんなおたくの独り言。
瀬梛 翔