忙しい人のための『晴明伝奇』#21 霊剣修復
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▶時期:天徳四年(960)― 応和元年(961)
内裏焼亡の翌朝、貴族たちは灰燼のなか宝物を捜索した。宣耀殿の宝物や仁寿殿の太一式盤は悉く灰燼と化していた。式盤の焼失は、陰陽寮に大きな打撃を与えた。世の中は落ち着かなくなり、火災が起こる前に不審な男が都を徘徊していたという噂が流れ、藤原師尹は源満仲に京中を捜索するよう命じた。
世間の人々は、燃え盛る火炎のなか突如として現れた天女が災いを鎮めたと感嘆した。賀茂家の人々もまた、梨花の正体を知って驚かない者はいなかった。晴明は子供たちに自分と同じ運命を辿らせてしまったことを嘆き、妻から渡された耳飾りを手にして必ず彼女を見つけ出すと誓った。
陰陽寮では、村上天皇が避難場所の職御曹司から冷泉院へ移ってもよいか議論がなされた。冷泉院は忌むべき方角が否かを巡って賀茂保憲と秦具瞻の間で意見が衝突し、最終的に保憲の意見が採用されて冷泉院遷御が定められた。具瞻は陰陽頭である自分よりも保憲の意見の方が重んじられたことを不服に感じたが、朝廷は三道の博士を経験した保憲の方が優秀だと判断したのであった。
一方、冥界に帰還した白雪は以前よりも仙力が真神と同格になっていることを不思議に思い、炳霊帝君に原因を尋ねる。それは白雪が人間界で刧を経験したからであったが、炳霊は彼女に以前の記憶を思い出させたくなかったため、地獄の災いを鎮めた功績によるものだと偽った。力を取り戻したばかりの白雪は万全ではないため、しばらくの間休養することになった。
保憲は藤原実頼から温明殿の宝物である大刀契の文様を修復するよう命じられ、晴明も弟子として手伝うことになる。大刀契は二柄の霊剣であり、かつては日月や四神の文様が刻まれていたが火災で焼けてしまった。晴明と保憲がどのようにして霊剣を修復するが思案を巡らせていると、突然霊剣から霊気が立ち上り、文様を示した。それは、白雪の幽冥傘から解き放たれた力の残滓であった。翌年、高雄山の神護寺で霊剣修復の儀式が行われ、保憲が祭文を読み晴明が進行役を務めた。この功績によって、晴明は天文得業生から陰陽師になった。
長い休息を終えた白雪は、真神に昇格したことを祝福されて天仙聖母碧霞元君の称号を賜った。泰山府君が言うには、碧色は五行思想で東方を表し、霞は朝焼けを指しているため、一日の始まり即ち生命の誕生を意味していた。真神昇格の儀式が終わった後、碧霞は大切にしていた耳飾りが片方しかないことに気付く。