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さらば、愛しのゴルゴ13

【序文と結論】
私が唯一手にする、と言っても過言ではないコミック誌が「ゴルゴ13」。
書店で購入するわけではないが、コンビニエンスストアで見かけると、どうしても読みたくなってしまう。
私を知る人から言わせれば、私とゴルゴ13という組み合わせはとても奇妙に思うらしい。
だが、私はあの主人公、デューク東郷に確かに惹かれている。
この部分は自分でも意外なのだが、感情やイデオロギーと完全に排し、プロに徹した緻密な仕事ぶりに憧れている。
もしかしたら、恋愛感情に似たようなものさえ、感じているかもしれない。
最近、その内容の劣化が激しく感じられ、もはや最新作を購入することはないだろうな、と漠然とした、だが確かな別れの予感を感じた。
作者であるさいとうたかを氏が亡くなられた後も、分業制を取り入れて制作を継続する制作者の努力には頭が下がる思いだが、やはり大黒柱を失ってしまった影響は計り知れないものがある。
正直なところ、このままの形で継続するのが正しい事なのかどうか、甚だ疑問に感じてしまう。
それでも続けて欲しいという読者ももちろんいるだろうが、私はその方々とは考えが違う。
滅びたものは滅びたものなのだ。
残された者がいかに努力をしようと、それを同じ形で維持することは難しいことだろうし、ましてやその物が稀代の天才であり、真のプロによって作られたものならば、もはや不可能と言ってもいいレベルだと、私は思う。


【結論に至った不満点】
①ストーリーのホームドラマ化
ゴルゴ13と言えば、世界の出来事の裏にゴルゴあり、と言うような、大きな政治や経済のニュースを絡めた重厚なストーリーが一番の魅力だと感じていた。
それは必ずしも正義ではなく、ゴルゴの流儀に従えば依頼者がたとえ悪の側だろうと仕事を請け負い、完璧に遂行する。
そしてそこに至る下準備や根回し、巧妙な計画が面白かった。
最近の話にはそれがない。
全体的に雰囲気が軽く、見たくない「ゴルゴの人間性」が垣間見えてしまい、どうしても今までのイメージから大きくかけ離れてしまうのだ。
それは、ゴルゴ自体よりも、周囲のキャラクターによって感じさせられる。
今までもゴルゴの人間臭さを垣間見えるストーリーは確かにあったが、周囲を取り巻くキャラクターが全体的に軽くなり、制作陣が読者に感じさせたいことを簡単に口にするようになった。
それが、いかにもテレビドラマを見ているようで、興醒めなのだ。

②画質の低下
ゴルゴと言えば、カミソリのような鋭い目を持つ東洋人と言うのが第三者が作中でゴルゴを表すときの代名詞のようになっているが、最近のゴルゴの目はカミソリではなくなった。
単に目の細いおじさんだ。
また、動き方も明らかにおかしいと思うような描写が目立つ。
それが銃の抜き方だったり、構え方といったような重要な部分で目立つからなおさらに目のやり場に困る。
そんなゴルゴは見たくない。
この部分については、他にも言いたいことはたくさんあるのだが、事実、作者が入れ替わっているのだからそれは求め過ぎというものかも知れないので、あえて触れないでおく。
しかし、無表情のことが多い主人公であるからこそ、その動き、ポージング、立ち居振る舞いには絶対に隙を見せて欲しくない。

③今後の展開に迷いが見える
今後、「ゴルゴ13」という作品にどうケリを付けたらいいのか、というような制作陣の迷いが作中から漏れ出ている。
もしかしたら、既に完成して金庫に保管されていると言う伝説の最終回に向けて調整中なのかも知れない。
また、制作陣も作品の質の低下を如実に感じていて、そうした不安ややるせなさが誌面から感じられるのかも知れない。
正確なところは分からないが、いかにも扱いに困っているような雰囲気が、作品全体からそこはかとなく感じられる。
続けるのなら、堂々と続けたらいいし、終わらせるのなら、勇気をもって終わらせるのがいい。
読み手に迷いを感じさせるのは、制作者としても本位ではないだろう。


「滅びゆくものは無残だが、滅びたものは美しい」

とある戦国武将の言葉として残されているもの(現代語訳)ですが、私はゴルゴ13にこの無残さを感じてしまい、居たたまれないのです。

私はゴルゴ13を、さいとうたかを氏が彼岸へ旅立った時から「滅びたもの」として捉えているのかも知れません。
滅びの美学に、人知れず酔っているのかも・・・。


さらば、愛しのゴルゴ13。
永遠なれ。


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