うおおおってなる体験がしたい

したいんです
最近のちょっとした悩みみたいなものを書き殴る


うおおおってなるような、新鮮で感動する体験。これ、己の中の"あるライン"を超えてもらう必要があると思う。そしてそのラインが年々高く、曖昧になっている気がする。歳なのが全ての原因かもしれんけど。

何かしらの”良い体験”をしたい時。
自分の場合は事前にざっくり情報手に入れて、大まかに裏切られないことを確認してから「よさそう」と思った段階でGOとなるが、設定したラインがそもそも知見から推定されるところなので、基本的に真新しさは無くなってしまう。

無駄に長生きしているせいで徐々に知っている範囲が広がってラインが高くなっていく。ついでに『この金額ならこのくらいの感動が待っているかも』という、憶測でしかないのに感動できるラインが勝手に高くなる現象も。

全く知らん事は、ラインが形成されていない分、うおおおってなりやすい、でもこれはアタリだった場合の話。
自分から未知のコンテンツに挑む度胸が出てこない。かけたコストに対して薄い味だったり、肌に合わない可能性は排除したいと思ってしまう。反動で辛すぎるから。

こんな感じで、要は見ず知らずに対して金と時間をかける度胸が足りないから休みを寝て過ごす、あるいはラインは越えてこないけど外さない楽しみ方をする(繰り返すとどんどん味は薄まる)といったしょうもない生き方が続いている。うおおおってなりたいのに。

自分が好きだったはずのアレコレ。薄味だと認識してしまったが最後、別ジャンルに乗り換える必要があるのか、何をすればライン越えの良さが発生するのか、段々とライン自体が曖昧になってくる。

つい最近規制されたやべ~成分のグミみたいな、お手軽に刺激が得られるアレコレに手を出す気持ちは、当然自分はやらんけど、理解はできる。気持ちというか、きっかけというか。自分の知らん体験が保証されていて、自宅で行える手軽さがセットでついてきたら、筆者のような底辺を魅了するには十分かと。
まあバタバタと救急車乗せられてる時点で肌というか人体に合って無いらしいし残念やね。かわいそ~😂
こういうバカデカい反動を食らいたくないから、知らん事に対しては消極的になってしまうんだよな。

金をもっているとすると、知らんモノに投じる金の価値が下がるので、体験がnot for meだっとしても反動は小さくて済むんじゃないかなと思う。
底に居る人間の視点だから何とも言えないけど、まあ実際に金を持ってる側からしたら生活水準の高さというか、その地位ならではの体験の仕方みたいなのがあって、相応の品質を求めると高くつくのかもしれない。つまり合わなかった時の痛みは同程度なのかも。
ただ、金がある分選択肢は多いと思うのでそこは絶対に羨ましい。ふざけやがって。。。

たまにモチベが出てくる、適当な一人旅。これも多くの場合はライン越えはしてこないけど、自宅が最悪過ぎるので外に出た瞬間ある程度の『良さ』は保証されている。
好きなんだけど、スマホ取り上げられて『SNSに何もアップロードせず自分一人で消化しろ』と言われたら流石に厳しいかもしれない。旅がしたいんじゃなくて情報を垂れ流したいのが本質なんじゃないかな~と思っている。
うおおおってなってると発信するフリをして、本当は自分自身に言い聞かせているのでは?上げた写真は真実だったとして、お前はウソ無しにtweetしているのか?ウソ無しでnoteを書いたことがあるのか?


というわけで、12月に入って皆さんの作るキラキラしたAdvent calendarが目に入る中、その眩しさから生じた影のクソ記事でした。
うおおおってなりそうな体験あったら教えてください。

以 上


いつでもお待ちしております