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トム・モレロ・インタビュー2007年【完全版】

2007年、ソロ・プロジェクトTHE NIGHTWATCHMANとしてのアルバム『孤高の革命歌 ONE MAN REVOLUTION』を発表したときのインタビュー。初出はTONE誌です。
RAGE AGAINST THE MACHINEやAUDIOSLAVE、PROPHETS OF RAGEなどの狭間の時期に行ったインタビューのため、バンド外のことも訊けて楽しかったです。

話題の転換の流れ、適度の緊張感もあって、自分のキャリアで最も気に入っているインタビューのひとつです。読まれた方がどう思うか判りませんが、こういうインタビューをもっとやれたらいいと考えています。
 
トムはこちらの拙い英語でのピントのズレた質問の意図を察してくれて、的確な内容の答えを的確な分量だけしてくれて、とてもインタビューのやりやすい人でした。
シリアスにはシリアス、ユーモアにはユーモアで打てば響く答えをしてくれるので、「レイジはヤバイ!イエー」というようなインタビュアーに対してもレベルを合わせて答えていたと思います。
 
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トム・モレロはもう1本記事を公開予定です。
 
 
 
●「マキシマム・ファイアパワー」の歌詞で「ヒットのないブルースマンが言った、"死ぬほどヘヴィになるには、音がデカくなくてもいい"と」という一節がありますが、『孤高の革命歌』はまさにそんなアルバムに仕上がっています。実際に誰かからそのようなアドバイスを受けたのでしょうか?
 
確かにそう言われたけど、実は"ヒットのないブルースマン"ではなかった。MC5のウェイン・クレイマーだったんだ。彼はブルースマンではないし、「キック・アウト・ザ・ジャムズ」というヒットがあったけど、まあ、それは"詩的許容"ってやつだよ。彼にはこう言われたんだ。「誰もが曲を書いて歌うべきだ。熱い心をもって、音楽を通じて表現しなければならない」ってね。俺はこれまでずっとバンドのエレクトリック・ギタリストだった。だからアコースティックと歌だけで表現することにした時、これまでにない啓示を受けたよ。俺がやろうとしていたのは、チェ・ゲバラとジョニー・キャッシュを合わせたような音楽だったんだ。
 
●ナイトウォッチマンの指標としたアルバムはボブ・ディランの『時代は変わる』とブルース・スプリングスティーンの『ネブラスカ』だったそうですが、それらのどんなところから影響を受けましたか?
 
どちらもダークで、重く、強烈なメッセージを持ったアコースティック・アルバムだという点だ。それら2枚にジョニー・キャッシュとレナード・コーエンの味付けをしたら、ナイトウォッチマンの出来上がりさ。もちろん彼らのスタイルを踏襲しながら、メッセージは俺自身のものだ。目指しているのは"黒いウディ・ガスリー"といったところかな。
 
●以前"ギターを抱えた黒いロビン・フッド"と自称していましたが。
 
それも正しい。ははは。社会の不正をシュートするんだ。
 
●ナイトウォッチマンとしてステージに立つようになった2003年から、アルバムを出すまでこれほどの時間がかかったのは何故でしょうか?
 
ナイトウォッチマンを始めた頃は、まだソロ弾き語りは慣れていなかった。だから場数を踏んでからスタジオに入ることにしたのさ。リック・ルービンに話したら、「とにかく100回ライヴをやるといい。話はそれからだ」とアドバイスしてくれた。野外フェスティバルからアナーキスト・ブックショップまで、演奏できるところだったらどこでもプレイした。20人ぐらいの観客が静まり返って、カプチーノを沸かすコーヒーメーカーがゴボゴボ言う音が響くようなカフェでもやったよ。60曲ぐらい書いて、その中から13曲をアルバムに入れたんだ。必ずしも主題が繋がっているわけではないけれど、アーティスティックな一体感を持った曲を選んだ。どれも昼間ではなく、夜向きのムードを持った曲ばかりだから、ナイトウォッチマン(=夜警)という名義を使ったんだ。
 
●20世紀前半のチャーリー・パットンの「ハイ・ウォーター・エヴリウェア」やヴァーノン・ダルハートの「レック・オブ・ジ・オールド97」のように、あまりに具体的な出来事を歌った曲は、時代を経るごとに風化してしまい、歴史の授業のようになってしまいます。あなたにとってナイトウォッチマンの音楽は、どの程度がポピュラー音楽であって、どの程度がリスナーへの啓蒙作業なのでしょうか?
 
啓蒙作業だとはまったく考えていない。社会の事象に対する、自分なりの解釈と整理作業、そして詩的表現だよ。もちろん自分が100%正しいなんて不遜なことも考えていない。「ワン・マン・レヴォリューション」は人種差別という現象を歌っているのと同時に、俺自身の自伝でもあるんだ。俺はいつだって疎外感に晒されながら生きてきた。白人ばかりの町で唯一の黒人だったし、ハーヴァード大学で唯一のメタル・ギタリスト、そしてアンダーグラウンド・ロック界で唯一の大卒だった。肌の色のせいでタクシーが停まってくれなかったこともあるし、家のガレージに縛り首用の縄を投げ込まれたこともある。当時の俺はガンジーばりの無抵抗主義者だったけど、友達はみんないきり立って「茂みに隠れて、今度そいつが来たらバットでめった打ちにしようぜ!」とか言っていたんだ。でも、それをただ生の塊のまま歌詞にしようとは考えていない。歌詞として普遍性のあるものにしようと試みたんだ。アルバムのどの曲にも「ジョージ・W・ブッシュは悪い奴だ」なんて歌詞はない。詩人として心に共鳴する作品を作ろうと志したんだ。
 
●イエス・キリストが捕えられた舞台の「ザ・ガーデン・オブ・ゲッセマネ」、「ハウス・ゴーン・アップ・イン・フレイムス」での聖ペテロのイエスの否定など、聖書をモチーフとした歌詞が多いのは、あなたのメッセージがキリスト教圏の人々に向けられているということなのでしょうか?
 
ナイトウォッチマンにせよレイジにせよオーディオスレイヴにせよ、俺の音楽が誰に向けられているかというと、自分自身なんだ。聖書からの引用があるのは、自分の育ったバックグラウンドにキリスト教があるからだ。俺はカトリック家庭に生まれて、1歳から13歳のときまで毎週日曜日には礼拝に連れていかれた。当時はあまり興味もなかったけど、大人になってみると、自分の考え方にカトリック思想が影響を与えていることが判ってくる。表現のヴォキャブラリにも、聖書が擦り込まれているんだ。だから歌詞の中に聖書のモチーフを取り入れるのは、きわめて自然なことなんだよ。アメリカ合衆国を題材にするのも、自分がこの国に生まれ育ったからであって、決してリスナー層をアメリカ人に限定しているわけではない。日本人のリスナーには、自分たちの置かれた環境に歌詞を置き換えて聴いてもらいたいんだ。アルバムにリスナーを特定している曲があるとしたら、「ユニオン・ソング」だろう。この歌詞はアメリカで不当な労働環境で働かされている移民たちへのメッセージ・ソングだ。これまで何度もデモ集会で歌ってきたけど、みんな拳を突き上げて同意してくれるよ。
 
●あなた自身、現在でもキリスト教は信じていますか?
 
俺は常に信仰というものに対して苦悩してきた。神様がいて、すべてを解決してくれたらいいのに...という子供じみた夢もある。その一方で、現世を司る絶対的な意思などなく、あるのは混沌だけだと思えるときもある。その結論には未だに辿り着くことが出来ないし、生涯辿り着くことは出来ないかも知れない。ただ言えることは、絶対的な真理があろうがあるまいが、我々には正義のために戦う義務があるということなんだ。もし意味などないのなら、自分の力で意味を見出していかねばならない。宗教は常に人を動かしてきたし、宗教の持つパワーは否定できないけどね。
 
●「レット・フリーダム・リング」でのヨハネの黙示録からの引用、「ノー・ワン・レフト」の歌詞など、アルバムのそこかしこに終末感を漂わせるフレーズがありますが、それはどの程度意図したことなのでしょうか?
 
『孤高の革命歌』の全編を流れるテーマは、"実存主義的警告"なんだ。現代社会がこのまま行くと、とんでもないことになりかねないってね。俺は自分が正義や人権に対する意識を持つ人間だと考えているけど、それと同時に、戦争犯罪者が国家の首長をつとめる国に居住しているんだ。それに対して、自分には何が出来る?バンドのリハーサルをして、テレビで情報を得て、たまにデモに参加して、曲を書く。そんなことで世界をより良い方向に持っていくことが出来るんだろうか?間違った方向に進もうとする列車の進路を変えることが出来るんだろうか?音楽は無力なんじゃないか?...そんな不安が、アルバムに終末感をもたらしているのかも知れない。「カリフォルニアズ・ダーク」にしても1992年のロサンゼルス暴動を歌ったものではなく、将来起こるであろう暴動を描いたものなんだ。黙示録の世界だよ。
 
●「ザ・ロード・アイ・マスト・トラヴェル」ではケルトっぽいメロディが登場しますが、あなたはアメリカのアイリッシュ社会とどのような関わりを持っていますか?
 
母はアイルランド系とイタリア系の混じった家系だし、俺の名前は曾祖父のトーマス・フィッツジェラルドからとったものだ。だから自分の血統の一部にアイリッシュの血が流れていることは承知している。ただ、モレロ家はアイリッシュ・コミュニティとはあまり深い関わりを持っていなかったし、家でトラディショナルなアイリッシュ音楽を聴くこともほとんどなかった。「ザ・ロード・アイ・マスト・トラヴェル」の一緒に歌える荒っぽい曲調は、むしろポーグスやクラッシュからの影響だよ。
 
●確かにあなたがギネスを飲んで酒場で暴れる図は想像できませんしね。
 
うーん、それはアイリッシュに対する極めてステレオタイプな視点であって、実際にはアイルランド人は世界で最も優れた文学を生んできた人々なんだ。ジェイムズ・ジョイスやジョージ・バーナード・ショーのようなね。
 
●...すみません。
 
また、アメリカにおけるアイルランド系移民は、苦難の道を強いられてきた人々だった。彼らはイギリスの統治下で苦しみ、新天地を求めてアメリカに移住してきた。そしてこの国においても、彼らは劣悪な環境で不当に酷使されてきたんだ。でも彼らは、徐々にアメリカ社会において確固たる地位を築くようになった。現代のメキシコ系移民の中には低賃金で雇用されている人もいるけど、彼らにとって、アイリッシュ系の事例はモデルケースになるかも知れない。
 
●あなたはレイジ時代から映画監督マイケル・ムーアと交流を持ち、彼にミュージック・ビデオの監督を依頼するなどしてきました。彼の『華氏911』は『ボーリング・フォー・コロンバイン』と比較してユーモアがなく、シャレが通じないイタイ人というイメージを植え付けてしまいましたが、あなた自身あまりにシリアスになり過ぎて、イタイ人になってしまうリスクを感じたことはありますか?
 
俺は自分の音楽を常にシリアスに捕えているし、笑い事じゃない題材を歌っていると思う。アルバムは半ば意識的に、容赦なくシリアスな雰囲気にしているよ。閉鎖恐怖症的なまでの緊張感とテンションを出すことを志しているし、それをイタイと言うんだったら、言うがいい。自分にとって、これまでマーシャル・アンプの壁に守られてきたのを、今回はアコースティック・ギターと歌声だけでやろうとしているのは、表現者として重要な試みだと思う。そういう意味で『孤高の革命歌』はガチガチにシリアスなアルバムさ。もっとも、ステージ・パフォーマンスではあまりにシリアス一辺倒だと息をする間もないから、ガチガチのナイトウォッチマンの合間に陽気なトム・モレロが顔を覗かすような構成にしている。まだ日本ではナイトウォッチマンとしてのライヴを行ったことがないけど、youtubeで見ることの出来る映像では、ニコニコ顔の俺が映し出されているよ。
 
●アメリカのロック・ソングライター全員にとって合衆国憲法権利章典の修正第一条(信教、言論、出版の自由)は最も重要なもののひとつですが、それと同様に修正第二条(武器を保有し携帯する権利)も守られるべきだと考えますか?
 
イギリスや日本のように武器の所持を禁じることで得るものと、武器を奪われたせいで危険に陥る可能性を天秤にかけてみると、やはりこれだけ銃が氾濫しているアメリカ社会は間違っていると思う。やはり銃の所持は禁止されるか、あるいは厳しく規制されるべきだよ。ただ、全米ライフル協会のような思慮の浅い、頑固きわまりないロビー団体がこの国の政治機能において絶大な力を持っているせいで、規制することが出来ないんだ。つい先日、ヴァージニア工科大学で起こった事件のように、精神的な障害を持った人が銃器を購入して、大量殺人に使用することが出来るというのは明らかにおかしいし、TEC-9(セミオートマチック短機関銃)を容易に買うことが出来ることも、数々の悲劇の原因になっているのにね。その一方で、マイケル・ムーアが『ボーリング・フォー・コロンバイン』で言及しているように、アメリカ以上に国民の銃保有率が高かろうが、暴力的なビデオゲームが氾濫していようが、犯罪発生率が低い国はたくさんある。アメリカは他国と較べても、極めて暴力的な国なんだ。そんな国民に銃を持たせるのは、火に油を注ぐようなものさ。
 
●あなたは現代ロック界の政治的なスポークスパーソンとなった感があり、ヴァージニア工科大学の銃乱射のような事件があると、世界中のロック・ジャーナリストがあなたの元に「どう思うか?」と列をなします。ミュージシャンは生半可に政治に口を出さず、音楽だけに専念するべきだという意見もありますが、あなた自身はどう考えますか?
 
俺はその正反対だと思う。修正第一条が認められているからこそ、誰もが自分の意見を主張するべきだ。ミュージシャンやアーティストにはマイクやギターがあって、声高に表現することが出来るけど、大工、学生、農夫たちも自分の意見を口にするべきなんだ。巨大企業に牛耳られた現代メディアに登場するのはCEOや隠居した将軍ばかりだ。もちろん彼らにも意見があるだろう。でも、メインストリームではない意見も尊重されるべきだし、耳を傾けられるべきだ。俺がギターに"Arm The Homeless"と書いているのは、文字通り武器をとれという意味じゃない。ホームレスであっても、理論武装して外界に向かって話すべきだというメッセージなんだよ。「ロック・スターが政治に鼻を突っ込むべきじゃない」と言う人は、戦う前から敗北しているんだ。
 
●オジー・オズボーンは「アイ・ドント・ノウ」の歌詞で「みんなが自分のほうを見て、終末は近いのか?最後の日はいつなのか?と問う」と歌い、その回答として「俺に訊くなよ、知らないんだから」と結んでいますが、あなたの答えは違ったものになるでしょうか?
 
もちろん俺も世界がいつ終わるかは知らないし、オジーと同じ答えをしなければならないだろうけど、終末に関する自分のあり方については、何らかの意見を持っていたいと考えているよ。ところで、オジーの『ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説』は俺のバイブル的アルバムなんだ。レイジでのギターのトグル・スイッチをON/OFFにするトリッキーなプレイは、「自殺志願」のランディ・ローズのソロから影響されたんだよ!
 
●これまであなたはギターのボディに"Soul Power""Arm The Homeless"などと書いてきましたが、今回アコースティックに"Whatever It Takes"と書いたのはどんなメッセージを伝えようとしているのでしょうか?
 
それらの書き込みはかなり直感的なものだけど、"Whatever It Takes"は『孤高の革命歌』を通じたテーマとなったと思う。"どんな手段を取ろうとも"、自分の信じる道を進むっていうね。「ユニオン・ソング」は"団結すれば、より良い未来を築くことが出来る"という楽観的な歌だし、「バトル・ヒムズ」は怒りに満ちている。「ザ・ダーク・クラウズ・アバヴ」は絶望と落胆を描いたものだ。「アンティル・ジ・エンド」をアルバムの最後に持ってきたのは、我々が最後まで諦めず、より良い世界を築いていこうと誓いを立てて終わりたかったからなんだ。さまざまな手法で自分のメッセージを伝えていく、それが"Whatever It Takes"の持つ意味だよ。
 
●"コンサート・フォー・フェア・フード"ベネフィットのシカゴ公演でザック・デ・ラ・ロッチャと久々に共演して、新曲もプレイしたそうですが、レイジの新作の可能性もありますか?
 
うーん、まだ確約は出来ないけど、可能性はあるよ。まずは今年決まっている4回のライヴをこなしてから考えるさ。
 
●あなたやティム・コマーフォード、ブラッド・ウィルクはオーディオスレイヴで3枚のアルバムを発表し、ワールド・ツアーも行ってきましたが、ザックは結局出すと言っていたソロ作を出すに至らず、7年間のブランクがあります。マイレージの差を埋めることは可能でしょうか?
 
ザックは蒸気切れにはほど遠い状態だし、大丈夫だと思うよ。まあ、様子を見るよ。
 
●ボブ・ディランはかつてアコースティックからエレクトリックに転向したせいで野次られましたが、あなたはその逆に、アコースティックに転向したせいでレイジやオーディオスレイヴのファンから裏切り者のユダ呼ばわりされたことはありませんか?
 
今のところ、すごく良い反応が返ってくるよ。ブーイングを浴びせられたことはない。「お前なんか信じない!」って言い返してやろうとずっと待ってるんだけどね(笑)。




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