怒りをこめてふり返れ 1988 ②
1988年7月1日、ロンドンのドミニオン・シアターにてカナダの舞踏団、ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスと共演したデヴィッド・ボウイは、この日のためにアレンジした”Look Back In Anger”の新ヴァージョンを披露。
その後重要な音楽パートナーとなるギタリスト、リーヴス・ガブレルスとの初ステージでもあった。
そして、それから2か月後の9月10日、このコラボレーションはニューヨークで再演。今回はそのニューヨークでのパフォーマンス について(演奏面を中心に)書いてみたいと思う。
伝統あるミュージカル劇場で行われた初演とは違い、ニューヨークでの舞台は現代美術家のナム・ジュン・パイクが制作、世界10都市を衛星中継で結んだテレビ番組 ”Wrap Around The World”。この世界規模のプロジェクトにボウイはニューヨークのスタジオから出演、前回と同じくラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスと ”Look Back In Anger” のパフォーマンスを行っている。
この日の大きな特徴は、前回の衣装(黒)とは対照的な白スーツ/衣装に身を包んだボウイとルイーズ・ルカヴァリエらのパフォーマンス映像に、ヴィデオ・アートの第一人者であるナム・ジュン・パイクがエフェクト処理を施していることだが、ここではその視覚・映像面と同様、大きく変化したサウンドに注目したい。
当日のボウイについては、東京の坂本龍一と衛星を通じて会話(ボウイは日本語、教授は英語で話した)を行なったことばかりが話題になったこともあって、今まで誰も指摘してこなかったのが不思議で仕方ないのだが、この日演奏された”Look Back In Anger” は、スタジオ録音(ライコ版再発『ロジャー』のボーナス・トラック)同様、ドラム・マシンを使用したロンドンでの演奏と比べて、よりダイナミックでフィジカルなサウンドへと変貌を遂げており、両日のパフォーマンスは(2022年8月現在)、いずれも動画サイトで視聴できるが、双方の演奏を聞き比べればその違いは明らか。
特筆すべきは、生音にしか聞こえないヘヴィなドラム・サウンドで、ロンドンでのマシンの音とはまったく異なるものだ。
そこで今回、いくつか文献をあたったのだが、ニューヨークでのパーソネルは初演と同じ(前回拙文を参照)で、ドラム・サウンドについての具体的な記述は確認できなかった。
加えて、映像にはバンド・メンバーが一切登場しないこともあって、この日の演奏については不透明な部分もあるのだが、ここで目を向けたいのが、初演の7月からこの9月までの空白期間だ。
リーヴス・ガブレルス、1989年のインタビュー記事によれば、ティン・マシーンのメンバーとなるボウイとガブレルス、トニーとハントのセールス兄弟が(スイスにあるボウイの)スタジオに集合したのは「昨年の8月だった。音を出し始めて、それをそのままライヴでレコーディングし、全て一発でとってるうちに2週間ほど経ったころかな、デビッドが ”これは絶対にバンドだ” といった。だって、本当にバンドでしかできないマジックが起こっていたんだ。」とバンド結成に至る経緯について発言している。(POP GEAR 1989年8月号)
だとすると、ティン・マシーン、メンバー4人の初顔合わせおよび、ファースト・セッション~レコーディングは、ちょうどラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスとのコラボレーションの合間になる1988年8月に行われていたことになり(その時録音したのが、バンドとしてのファースト・トラック、"Heaven's In Here"だと思われる)、上記ガブレルスの発言からもわかるように、この時点でバンド結成の意思があったボウイが、翌月ニューヨークでのパフォーマンスにティン・マシーンの方法論(即興性のあるプリミティヴなバンド・サウンド)を導入していたとしてもおかしくはない。
と、以上の点を踏まえて、これは自分の推察だが、この9月10日の”Look Back In Anger” には、ティン・マシーンのドラマー、ハント・セールスが参加しているのではないか。
少なくとも、ここで聴ける手数の多い凶暴なドラミング(生々しいシンバル音やフィルイン等)はとてもプログラムされた音には聴こえないのだが…。
(映像では演奏前にスティックのカウントらしき音も確認できる)
そして、何よりも驚かされるのは、(ギター・イントロや前後半のパートが翌年ツアーで数回披露される "Now" の原型となっていることからも)事実上ティン・マシーンのプロトタイプと言っても差し支えないこの日の演奏が、そのティン・マシーンをはるかに凌ぐヘヴィでスリリングなサウンドとなっていることだ。特にガブレルスのフリーキーなギターが荒れ狂う中盤からエンディングへ雪崩れ込む展開は聞きもので、先述したドラムも異様なテンションを感じさせる。
アクロバティックでありながら、退廃的なイメージの色濃いラ・ラ・ラ〜のダンスとともに、このようなパフォーマンスが翌週開催のソウル五輪と連動したテレビ番組で世界中継されたことが今となっては驚きしかない。
事実、ここでのボウイは80年代以降のキャリアの中で、突出してラディカルなことをやっていると思う。
何せ、このパフォーマンス作品で彼らが表現しているのは、”死の天使”なのである。 (つづく)
(2022年8月10日 改稿)
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