見出し画像

どんなふうに死のうか

先日、Jさんという人と出会った。
Jさんはとても珍しい病気を患い生死を彷徨ったが、奇跡的に生還し【今】という時を楽しんで生きている。

好きなことをして、好きな空間で毎日を過ごし、フリーランスで仕事もしながら、たくさんの人たちを助け助けられながら生きているJさんはとても元気そうだけど、今も後遺症の苦しみと共に生きている。

周りの人たちに『足すことも引くこともしないでほしい』と言うJさんは、出会った今日も私たちにも足すことも引くこともしない。
奪わないし必要以上に与えもしない。だから結果与えてると言う現象が起こる。勝手に与えてる。理想やなと思うけど、執着が半端ない私からしたらその境地にはなかなか行けないなとも思う。

そんなJさんは奥様を病気で亡くされている。
スキルス性の胃がんでもって3ヶ月と言われたけど結果4年生きることができた。と。

その話を聞いて、私は自分の父のことが頭を離れなかった。

私の父もスキルス性の胃がんで、病気が発覚して1ヶ月でなくなった。60歳だった。

病気がわかった時、病院の先生から『余命1ヶ月。もって3ヶ月…夏は越せないでしょう』と言われて本当に1ヶ月で死んでしまった。

病院の先生から『告知なんですがご本人にはしらせない方が良いかもしれません』と言われて、相当良くないんだと言うことはわかった。

秒を刻むごとに進行していくがん。
腎臓の数値が元々悪く転移もしていることから、抗がん剤も放射線も寿命を縮めるだけなので病院としては尽くす手がないとのことだった。

家族会議の結果、父には告知しない道を選んだ。
家族も相当気が動転していたけど、今思うのは『あの時告知していたら…』と全く後悔しなかった日がなかったわけじゃない。

むしろ私の人生が自由になればなるほど『あの時告知していたら父は死に方と生き方を選べたよな』と思う。
私は長生きすることが良いとも思わない人間だし、死んだように生きるのは嫌だなって思うから絶望でも知りたいと思ってしまう。

父は知らない方が良かったんだろうか。
今となっては知る術もない。
私たちが殺した。のとそんなに変わらないんじゃないか。そんなふうに思ったこともある。

父は知らない。と思ってるのは私たちだけで、どんどん痛みが増し悪くなっていく自分の身体を感じながら、その時はもうすでにいろいろわかってたんじゃないのかなとも思う。
そりゃわかるよな。バカじゃあるまいし。痛かっただろうし恐かったよな。

実際、母の誕生日にはケーキを用意して欲しいと姉に託していた父は、母の誕生日を迎える前に無くなった。

入院して3週間経つ頃には私が娘だということもわからなくなって『若い姉ちゃんが来た』と嬉しそうに手を触ってきたり、昔のことを今起きてるかのように話しはじめたりと記憶が曖昧になっていたけど。それでも母のことだけは最後まで認知していたし、最後の日も母の呼びかけだけには返事をしていた父。

母のことを愛していたということ。
そんな二人から生まれた私は確実に愛されていたし、今もなお愛されているよね。

死があるから生きるがある。
死が先にある。
死ぬということは誰にでも平等にある。
命が永遠じゃないということ。
そのことに愛を感じるんだ。

この肉体があるからこその自由なんだ。

この皮膚が邪魔に思えることもあるけど。
大事な境界線。これがあるから超えたいと思うし中にいれるんだ。

溶けることがないから、溶けさせたいんだ。

いいなと思ったら応援しよう!