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土星回帰って何かあったかな
前回、冥王星の襲来を書いたので・・・。
西洋占星術界隈では話題に挙がる、土星回帰。
いわゆる「サターンリターン」について考えてみたいと思います。
ある方は、サターンリターンをひき逃げ事故なんて言っていたりして。
上手いこと言うなぁと、感じたこともありました。
一般的には、土星は30年ほどかけて空を一周回って生まれた時に土星が有った場所に戻ってきます。これが、いわゆるサターンリターンです。
キャッチを見て貰えば分かりますが、土星は英語でsatuneです。
それが、回帰するからsatune returnですね。
何でも英語にするなぁーって、西洋占星術始めた頃思いましたけれど。
慣れっス(笑)
さて、脱線したので元に戻りましょう。
生まれた時に、土星が有った場所に、土星が戻って来たらどんなことが起きるの?と思われると思いますが。人生の大きな転機が起こりやすい時期と言われています。
29歳くらいの時と、58歳くらいの時って、言うまでもなく人生の変貌期だと思うのです。結婚して家庭を持つ頃と、定年して第二の人生を歩み始める頃。最近は、少しずつ結婚も遅くなり。
定年延長があったりして、変わってきてますが。
まあまあ、節目にさしかかり人生を考える時期でも有るわけです。
そんな、堅い話は正直どうでもいいんです。
幾らでも、そのくらいの記事はネットで出て来ますからね。
じゃあ、やまゆきさぁ。
アンタは、その時どうだったんよ?って話しですね。
思い返せば・・・って言いたいのですけれど。
なんかあったかなぁ?って一瞬首を傾げました。
THE 土星に愛された女の私。
人格のベースになると言われる位置に、土星さんがドーンと鎮座して。
私の家の門番は土星さん♥と言って過言ではない。
もっと言うと、太陽がやぎ座にある私にとって、土星といえばやぎ座で一番元気に動ける天体なんですね。いわゆるドミサイル。
個人的には、土星は自分の一部みたいな所があって。
土星が漬物石みたいに頭に乗っかって重っ!って、思うまで行かなかったようです。ただし、思い返せば色々な経験をした時期でした。
サターンリターン後の苦労と比べたら、取るに足りないので忘れていただけで・・・。辛い時期ではあったようです。
結婚して、3年が経過。
両家の母親にそろそろ孫の顔を見せて。と言われ始めた頃でした。
「あまり遅くなると子育ては大変だから、20代で産んだ方が」と実母は何度も言ってくるし。なぜか、マタニティーウェアーを送ってきて無言の催促をされたり。
夫の母にも
「男は子供には積極的にならないもの。騙しても、子供を作るのが嫁の役目。作っちゃったらこっちの物だから、貴女は色気が足りないのよ。誘い方を教えましょうか」
なんて言われるし。
まあまあ、気が滅入っていた所に。
宮古島に、赴任で飛ばされ。
初めての離島、そして異文化の中で揉みくちゃにされて死にたいが口癖になっていた時期でした。どこが、大した苦労してないのよ?って言われると、ああそんなもんですねぇ。と思うのだけれど。
転勤族やっていく間の苦労を考えれば、その頃の苦労なんて可愛いものと今は思えるのですが。乗り越えるには大きな壁だったと言えるのかも知れません。そうなんです、サターンリターンって当時の自分にとっては、大きく行く手を阻む壁ではありました。
それを乗り越えることで、大きく成長できるし。
乗り越える事の出来ない壁では無いのですね。
だから、成長した暁には「良い思い出」として定着してしまう。
事実私が、そうでした。
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当時、結婚してもうすぐ3年という状態で。
私の居場所は、夫と暮らすこの家でしたが。
帰るといったら、実家だったのですね。まだまだ、おこちゃまです。
宮古島の前任地の頃は、年に4回程度帰省をしていたのですが。
さすがに、宮古島からは実家は遠く。
当時は、電話代も馬鹿に出来ず。
美しい南国の海を見て「海の色も違う」と泣くばかりでした。
本当に、29歳ってまだまだ子供です。
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そんな私を、可愛がってくださり「ここが貴女の第二の実家よ」とまで言ってくれた地元のオバアがいました。
でも、その愛情すら重くて。
なんで、私は地元とのお付き合いに首を突っ込んでしまったのだろう。
密過ぎる、島の人間関係に精神を病み掛けていました。
オバアは、時々自宅に呼んでくれ。
郷土料理を教えてくれ。
地元の踊りである、クイチャーを教えられて一緒に踊りながらも泣く。
泣きすぎだろ、自分。
「なんくるないさ」と背中を撫でられたりして。
なんでしょうねぇ、恥ずかしい。
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ついに、起き上がれなくなり。
実家療養を言い渡されて、夫に付き添われ羽田空港まで行き。
羽田に迎えに来た両親に引き渡されたり。
まあまあ、今思うと何て甘えん坊だったのでしょうね。
帰省したものの、母の厳しいこと。
「夫を放置して戻ったのだから、彼の実家に顔を出し、ご両親にお詫びをしないといけませんよ」
と言われて、夫の実家まで行き頭を下げ。
やっと、実家で安心してしばらく生活できると思ったのに・・・。
「実家に帰ってきたからといって、ゆっくり出来るとは思わないでね。奥様なんてやってるから、不安とか、辛いとか甘い気持ちがわき上がってくるのだから。実家でとことん働きなさい、絶対に療養なんて甘いことはさせませんよ!!」
と、動けなくなり療養に戻ったはずの実家でこき使われ。
夜になると、夫に電話をして泣く。
そんな私に追い打ちをかける様に、母が「電話代払いなさいよ!」と(笑)
まあまあ、針のむしろを2ヶ月ほど経験して、自宅に戻ったのもこの時期。
えっ、何も無かったって言ったじゃん!っていわれそうですけれど。
こんなの何か有ったに入ります?という人生なのでスミマセンねぇ。
ここから、私の思考回路がパキッと切り替わります。
「実家は、私の戻る場所ではない」
「親は、宛てにしてはいけない」
「私は夫と自分の人生を生きるのだ」
一気に大人になりました。
子供だった自分への決別とでも言いましょうか。
そう考えると、THEサターンリターンですね(笑)
お後がよろしいようで。
次回のサターンリターンは、7年後に迫ってきました。
「どーんと来い!」と、手を広げて迎えようと思っています。
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