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母方祖母の実家を調べて見た

さて・・・。
今回は、最難関と思われる母方の祖母の実家について書いてみたいと思う。

祖母と母と叔父/着色:デジミ様

実は、先祖調べを始めた当初から調べたいお宅の上位にあった家系です。
母の実家は、実家の近くにあり。
子供の足でも15分程度で行くことができ。
商売(お店)をやっていたので、いつでも店番をしている祖母がいて。
そこには、両親共働きで預けられていたイトコや、当時学生だった母と年の離れた叔父いて。

ひょいと遊びに行けば、遊んでくれる人、構っていくれる人がいた為。
私は、暇さえあれば、母の実家に入り浸っていました。

祖母の自慢は「私の実家は凄いお家」「私の父親は偉大だった」でした。
彼女の話は、規模が大きすぎて。子供の私からすると「ホラ吹くにも程がある」というイメージだったのは今だから言えることです。

ちなみに、こちらの記事が祖母が尊敬して止まないの父君の記事です。
国立国会図書館デジタルコレクションで、発見しました。
※文字起こし等の著作権の所在は、国立国会図書館に確認済み※

戸籍のみしか調査していなかった頃は「お祖母ちゃんはいつも話が大きいんだからぁ」くらいに思っていましたが。調べて行く内に、どうやら決して祖母の話は大げさでは無いことが分かってきました。

しかしながら、いざ調べようと祖母の実家の現当主さんにお手紙した所。
厳し目の反応をいただきまして・・・。
ご当主とイトコであり、幼い頃から仲良くしていた母を巻き込み。
「お前の娘は何をウロウロと嗅ぎ回ってるんだ!」と言われている様な拒否反応をいただきました。
当時の私は、酷く落ち込み。しばらく寝かせていた先祖調べです。

今思えばですが・・・。
元庄屋という立場を引きずり、戦後大変な思いをした後継者の立場で「今は我が家は普通のお宅だから、何も話す事は無い」と言われた意味も理解できます←詳しくは、1つ前の記事を見てね♥

あまりに拒否られた為。
数年間、別の家系を調べ。
再度、祖母のご実家を調べ。
上記noteを書いた上で、現ご当主様にnoteの内容を添え、お手紙をお送りし。決して悪い意味で調べている訳では無い。
と言う事をお伝えした所、態度が軟化し、やっと手を付けられる状態になったのも事実です。先祖調べは色々と難しい事があります。

今回、祖母のご実家を再度調べたいと思っており。
この記事を書き、情報を整理してみたいと思います。

まずは、祖母の証言から得た情報を羅列してみます。

・豪農だった
・我が家の土地を踏まないと生活は出来なかった
・家には使用人が沢山いた(母は30人くらいと聞いているとか)
・学校の登下校時は、一人鞄持ちがついて手ぶらで登校した
・小学校が出来る時に、我が家が所有する土地を寄進した
・今の○○の土地は元々我が家の土地だった
・GHQに土地をほとんどとられてしまった
・結婚して子供が生まれた際。自家の山から木を切り出して。
 大工を連れて両親が来て家を建ててくれた
・○○地域全体のとりまとめ役の庄屋だった。各地域には別の庄屋がいたが、○○地域の庄屋の総まとめ役だった。(母が祖母に聞いた)

こんな感じです。

実際に私が知っているのは

・ん百年という茅葺きの古民家(母が言うには300年くらい)
・七歳のお祝いの時に行ったら、敷居がまたげないからと板を渡してくれた
・お蔵があった
・ご近所の高齢者に「○○様が土地を下さったので農業が出来る」と、子供だった私は、頭を下げられて困った事がある
・祖母の実家に行くと、ご近所に「お嬢様」と呼ばれて困った

よく考えれば、確かに何かありそうなお宅だなと・・・。
庄屋か、名主か、豪農か?この辺りかも知れない。とは思っている。
※祖母や母の言うことは、間違いがあるという前提で調査する※

昨年、祖母の証言である「我が家の土地を踏まないと生活出来なかった」という証言を立証するため。旧土地台帳を取得するために、法務局へ。

土地の所有者として、先祖の名前がチラホラ出て来たら、面白いだろうな。
取得した級土地台帳を見れば、所有していた土地の分布で、何か分かるかも・・・。

そのくらいに思っていたのですが。

総当たりしたら、大変な事になり。コピーをして出して貰った旧土地台帳だけでも、紙の厚みは10cm程度は軽くありそうな状態になりました
。そこまでの土地持ちであるとは予想して居らず。持ち帰る道具は、エコバックのみしか持って居らず。
帰るのが大変という状態でした。
※飽くまでも、曾祖父と高祖父の名義のみ※

個人的には「おいおい、思った以上だよ。これどうするの?」というのが、開口一番出た言葉でした。今更ですが、旧土地台帳を整理するだけで相当大変でした。

土地台帳から分かったことは。
・学校を作る時に土地を寄進したというのは、半分本当。
 実際は、格安で譲渡した
・持っている土地は畑や山が多く平地は殆ど無い
・明治に(多分)山を切り開いて茶畑を広げている
・大正期に少しずつ切り開いた茶畑を、区画整理して統合している(と思われる)→郷土史によると、畑が狭く道具を入れにくい状態であったため。
 全ての畑を一元化して、元々の広さを区画訳し再配布する形で、土地の改良に努めたそうだ。
・どうやら、近隣一族で土地を所有している模様(同姓での土地の名義変更がゴロゴロしている)

このくらいでしょうか。
土地そのものは、土地台帳の量ほどではなく。
東京ディスニーランドくらいの広さのようです(笑)
※この時代では大地主とまでは行かないかな?※
ただ、ほとんどの土地が、小さな畑や、細切れの土地。
大きい土地は山林という感じでした。

そもそも、殆ど平地が無い山間部の土地柄ですから。
平地で土地持ちの場合と、かなり事情は違ってきそうです。

旧土地台帳のみでも、色々な背景が見えてくる気がしました。

当然、戸籍からも血族で親戚関係を固めているのが分かりました。
所有している土地など、財産を外部へ渡さず守る意味もあったでしょう。
祖母が言うには、優秀な娘には婿を取って分家を増やしていったそう。

当然、戸籍を見ても、お嫁に行く先も、嫁を取った家も全部同じ名字がずらり。
正直、番地を書いて貰わないと全然分からない状態です。
※後日、小学校の周年行事で作られた過去の卒業生名簿が出て来ており。
 これを元に、各家を確定できそうな感じにはなっています※

ここまでの内容を精査しつつ、土地に残る古文書や、江戸期の歴史などの文献を調べようとしたところ。これまた、分厚い壁に阻まれました。
ここの地域は、かなり特殊で統治者が誰なのか?
調べるのに時間が掛かりました。天領で有ったと言う事だけは判明しました。

その後、徹底的に国立国会図書館デジタルコレクションで調べたり。
市の保管している古文書なども調べて見ました。
ただ、市史や旧村部の村誌を調べても、カッチリとした枠組になる情報が出てこない。こういう地域あるんだよなぁー。ってため息を着いています。

そして、現状はここまでが到達点です。

一周回って戻って、ある程度の経験則を積んできて再挑戦のこの家系。
何か分かる事を期待しつつ、着手時の覚え書きとして書き残してみました。
本日はここまでです。
さあ、続きが書けるだけの成果が得られるのか?
乞うご期待です。


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やまゆき
大変光栄です!ありがとうございます❤️