【批判的思考】どうすればフェイクニュースに惑わされないのか−ある意味情報はほとんど間違っている?
私の母は陰謀論にハマってしまった。来たる核戦争を生き残るため、せっせと準備をしている。もちろん2019年のアメリカ大統領選挙は実はトランプが勝っていたし、トランプは悪の組織ディープステートから人類を守る正義のヒーローだ。ワクチンにはマイクロチップが埋め込まれ2年後に人類の多くが死ぬ(もう2年とっくに経ったが)。飛行機雲は謎の有害物質で、洗濯物を外に干すことはやめた。YouTubeの陰謀論関連動画を一日中見ることを勉強だと思っている。
陰謀論にハマった原因は様々あるが、メディアの情報を正しく受け取る力や批判的思考能力が弱いからだろう(陰謀論の考察は別記事)。メディアの情報は正しく読めば多くのこと知ることができるが、これができないと害となる。このような人々が量産された結果がアメリカの議事堂襲撃やドイツでの政府転覆計画だ。私はこれを大変な社会的脅威だと思っている。確かな批判的思考能力やメディアリテラシーがないままニュースを見ても、情報に踊らされるだけである。
このような背景もあり、より多くの人々が正しく客観的に情報を受け取れるようになって欲しいと考えてやまない。ドイツまでわざわざ行って人文社会学を学んだものとして、私がどのように情報に向き合っているか、参考になるかもしれないので共有したい。
今世界で何が起きているのか知る際、私たちの多くが参照するのがメディアだ。一次情報に接することができるのは自分の身の周りという極めて小さい世界だけで、世界で起きるほぼ100%のことを私たちはメディアを通じて理解している。私たちの世界観や考えは大方はメディアの提供する視点や価値観で構成されることになる。
情報を正しく受け取るためにまず初めに意識するべきなのは、言葉で伝えられた情報は意識的がどうかにかかわらず必ず誰かの視点や価値観のフィルターがかかっており、完璧に客観的な事実を伝えることは不可能に近いということだ。「メディアが人々を洗脳しようとしている」というような抽象的で曖昧な話ではなく、客観性の欠如は言葉に表記される以上、性質的に避けられない問題もある。
情報を入手した際は、まずはこれを念頭に置いて、誰の視点なのか、どのような価値観に基づいているのか、いつの話、情報の出元はどこなのか、そもそもそれは本当なのか、情報発信者にはどのような目的や利害関係があるのか、何が解釈で何が事実なのか、様々なことを検証する必要がある。
どういうことか。有名な「盲目の男と象」の例を参照しよう。
この中の男は全員盲目であり、自分が何を触っているのか伝えようとしている。図が指し示す通り、すべての男は触覚を通じた像の一部の情報しか得られないので、各々が触っているそれを蛇や木などと言う。それぞれ嘘をつこうとしているわけではない。
この図が言おうとしていることは、人間はものを見る時、自分の立場から入手可能な一面的な情報をもとに解釈を加え、全体を判断してしまうということだ。
この例で言えば、それぞれの人が異なることを言っている際、事実と解釈を明確に特定する必要がある。「壁」を触っている男には、なぜそれが壁だと思ったのかきき、「壁」という男の解釈から、「その男の位置から触れる部分は垂直の平面である、と男は思っている」という事実を抜き出さなければいけない。
ただし、すべての男の口頭での証言から事実を正確に抜け出せたとしてもこれでその物体が象であるという解にあなたが辿り着けるとは限らない。さらに、男が意図的に嘘をついている可能性なども考慮する必要がある。あなたがその場に行ってそれを確認するまで、象であるかどうかは確実にはわからないのだ。また、あなたがそれを象だと思っても、実際は象に似た他の生物かもしれない。
また、象という概念が世界共通のものであるとも限らない。もしかしたらある文化では私たちが象と呼ぶものはキリンの一種ということになっているかもしれない。
これが、言語で表された情報は完璧に客観的で正確にはならない、ということだ。
これが政治などのより複雑な対象になった場合、利害関係や国のイデオロギーやプロパガンダ、メディアの印象操作などより、何が事実かを特定するのはさらに非常に困難になる。仮に動画や写真があったとしても、これらは現実の一部の切り抜きであり、それが過去の全く無関係な事象の記録から流用されている可能性もある。
メディアは人々の関心をひけるもの、また日常的でない珍しい事象を報道するため、報道が全体としての現実世界を正確に表しているとは限らない。…………….
これを踏まえると、ビューの獲得のためにコンテンツを作成しているであるどこの誰かもわからないYouTuberの言うことを事実だと受け止めることは言語道断であることがわかる。メディアでは一応ファクトチェックを実施しているはずだが、個人発信のYouTubeでは勝手な妄想や勘違いを事実として発信することができる。
私たちが学校で習った歴史も鵜呑みにするべきでない。なぜなら教科書の内容には国の解釈や主張がそれとなく含まれているためだ。国は国民に教えたくないことは書かないし、教えたいことは積極的に盛り込む。また、歴史の多くが権力者などによって書かれているし、文字が存在していなかった国の歴史は侵略者などによって都合よく解釈されて書かれていることも多い。また、パワーバランスの関係で、歴史の記述が欧米中心的な発想になることも少なくない。
様々な国の人々と歴史の話をすると知識や視点が異なっていることが多く、これに気付かされることがよくある。
これらのことに留意すると、与えられた情報から正確に世界を理解することはかなり難しいことがわかる。
どうすればいいか。
これらを念頭に置いてできるだけ多くの情報源に触れ、できれば自分で第一次情報に当たることだ。そして、私が特に強調したいのは、自分の理解はおそらく完璧ではないどころかむしろ結構間違っているのかもしれない、ということを常に忘れないことだ。また、知識は多くの場合事実でなく一定の解釈にとどまることも意識するべきだ。統計データを参照することも有効だが、数字にもフィルターがかかっていることは忘れてはならない。サンプリングや処理方法、言葉の定義によっていくらでもデータは意図的に都合よく作り替えられる。
これを心がけながらできれば他の言語でも情報を集めると、より知識が客観的で多面的なものに近づき、批判的思考能力も鍛えられる。
私も訓練途中だが、これを読んでくれている人も情報にあたるときこのようなことを考えてくれたら嬉しい。