『横丁暮色/田舎暮らし』出版余録
◆たわごと
横丁暮色――。少し気恥ずかしいタイトルではある。「横丁」とは、知る人ぞ知る「人世(じんせい)横丁」のことである。
「あんたに、人世横丁のことがどれだけ分かっているんだ」
と言われれば、黙ってしまう。
しかし、観光ガイドではない。単なる酔客の思い出話である。それに、人世横丁は2008年に灯が消えているのだから、今さら案内しても詮無(せんな)いことだ。
◆粋(いき)だねえ
人世横丁は東京・池袋にあった。故・青江三奈の『池袋の夜』に歌われ、美久仁小路(みくにこうじ)とともに、全国的な知名度を誇った飲み屋街だ。
ところで、人生横丁の入力ミス・校正ミスではない。闇市跡に横丁を開業した際、立役者となった店主がいた。その店主が「人の世にはいつも横丁があった」と考えていたことによる。何という粋人だろう。
筆者は30歳前後から50歳前まで、足繫く通った。もちろん、雰囲気が合わない店もあった。休業する店も増えていた。街の隅々まで知り尽くしていたわけではないが、行きつけの店で、興味深いことを見聞できた。
◆客足とだえ
それにしても、不思議な魅力を持った横丁だった。まるで、昭和の写真集を繰っているみたいだった。
横丁への入り口が三か所あって、地面がやや傾斜していた。
昼間はひっそりし、街ネコも時間を持て余していた。暮色が濃くなり始めると、のれんがかかり、明かりが灯る。どの店も狭く、客は肩を寄せ合う。
いわば、おじさんの行く店だった。バブル期には、常連客も繁華街の店に流れた。バブルが崩壊しても、横丁に客が戻ってくる気配はなかった。おじさんたちの飲酒スタイルは変わってしまっていた。それに、ママさんたちも高齢化が進んだ。なにしろ、池袋ターミナルから徒歩5分余という好立地。都市再開発の波が再び起きた時、吞み込まれるのは必定だった。
◆失ったもの
池袋が「第2の故郷」としたら、第1のそれは、もちろん生まれ育った四国の山村である。2019年にUターンし、田舎暮らしを再開した。
激変する都会に比べ、田舎はもう変わりようがない、と考えていた。ところが、生家のあった辺りは杉林に覆われ、昼なお暗い。村は消滅寸前だった。
都市化と過疎化を目のあたりにし、あまりにも多くのものを失ってきたことに気づかされたのだった。