水の味
先日、患者さんと話していて、どういうわけか、おいしい水が飲みたくなった。
その方の生家は、四国三郎・吉野川の支流の、さらに支流をさかのぼったところにあった。いわば、川の最奥部にある村で、今はかろうじて1軒、お年寄りが一人住んでいる。
「昔は川の水を飲んでましたからね」
と、子供のころを懐かしんでいた。十分、考えられる話だ。
☆嗚呼!「国土緑化」
私の場合、さすがに川の水は飲む気になれなかった。上流に大きな村がいくつもあったからだ。
生活に必要な分は、近くの渓(たに)から引いていた。
山道の脇にはいたるところに湧水があった。岩を伝って流れ落ち、さながら天然の蛇口だった。そこに口をつけて飲んだ。
今、それらの湧水はほとんど涸(か)れている。無計画な伐採・植林によって広葉樹が激減し、山の保水力が著しく低下したことによる。村を流れていた渓流はほぼ「水無川」と化した。
☆名水再発見
小学校に入学し、閉口したのは水道の水だった。カビのような匂いに、思わず顔を背(そむ)けた。
そういう目に遭っていたから、Uターンして母校に治療院の分室を設けた時も、水道水は敬遠していた。
冒頭の患者さんが生まれ育った村に行く途中、今では希少価値となった湧き水の名所が残っている。県外からも汲(く)みに訪れる人がいるほどの名水だ。
私の頼りになるのはその水だけか、と心細くなっていたところに、強力な救世主、ライバルが現れた。
廃校になった母校跡に、移住者がコーヒー店を開いている。当時のマスターが、自信たっぷりに言った。
「ここの水はうまいですよ。コーヒーを淹(い)れるのに、これ以上のものはない」
☆浄化水
半信半疑でコーヒーを飲んでみた。確かに!
警戒心は薄らぎ、コップの水も口にした。あの、鼻を突いた水ではなかった。ウイスキーや焼酎を割っても、ごく自然な味がした。そのころ、関東の治療院と掛け持ちしていた。水割りで、ほろ酔い気分になりながら、贅沢な旅を楽しんだものだ。
母校の水道水(写真)は、昔も今も、近くの渓から引いている。その渓の上流には、大きな村があった。皮肉なことに、過疎化が水を浄化したのだろうか。
ともあれ、長年、涸れることなく、多くの学童を潤(うるお)してきた。さしもの水源も細くなった、と聞く。いつまでも、おいしい水を提供していてほしい――そう祈る一方で、ウクライナのダムを破壊し、水を戦争の武器にした愚挙には、言いようのない怒りを覚える。