盲導犬ユーザーに
◆顔合わせ
数多くの候補犬の中から、訓練士が選んだのがエヴァンだった。
犬と人間にも、当然のことながら、相性がある。訓練士の洞察力、鑑識眼が問われるところだ。
訓練士とエヴァンが、私の治療院に入ってきた。その大きさにまず驚かされた。半ば口を開け、息遣い荒く私を見ている。訓練士がリードを緩めると、エヴァンは私に寄ってきた。私も頭を撫でてやる。
まるで、新入社員の初出勤だった。それもヤル気満々だ。名前の由来は、庵野秀明監督の『新世紀エヴァンゲリオン』と聞いていた。まだ二歳ながら、どこかに勇者の雰囲気を漂わせている。
ハーネスを付け、訓練士に伴われて、家の周囲を歩いた。速い。少し引っ張られる。白杖歩行していた私は、とうの昔に忘れていた歩行速度だ。この新入社員、初日から張り切っている。
「いいですねえ。息がピッタリ合ってますよ」
訓練士が太鼓判を押してくれた。
◆訓練所入り
何日かして、合宿訓練に入る。
大阪の赤坂千早村に訓練所はあった。奈良との県境、大阪では田舎である。しかし、シャレで村と名乗っているのではない。府内唯一、れっきとした地方公共団体としての村である。
府下在住の兄夫婦と共に、受付にあいさつに行く。訓練士がエヴァンを呼んできた。エヴァンは古い知り合いにでも再会したかのように、兄夫婦にも愛嬌を振りまいている。
初日は簡単な日程確認や排せつ管理などについてガイダンスがあった。エヴァンに夕食を与え、犬舎に戻す。私も夕食の時間がきた。
当初4週間ほどの訓練日程だった。ただ、治療院のこともあり、三週間に短縮してもらった。それでも、長い。こんなに家を空けるのは、初めてだった。
アルコールは原則禁止とされた。かつて規制はなかったが、泥酔して前後不覚になった訓練生がいて、文字通り「厳禁」に。そうはいうものの、時代を反映して、今では「原禁」になったらしい。私はいいご時世に生まれたものだ。兄夫婦が酒を持たせてくれたので、夜ごと、規制緩和の恩恵にあずかれた。
◆酔っている場合では・・・
六時半に起き、顔を洗い、犬舎の前に行く。エヴァンが待っていた。
まず、トイレ・ベルトにビニール袋をセットし、ワン・ツー(ワン=オシッコ、ツー=ウンチ)をさせる。次に、ブラッシングをする。終わると朝食時間。部屋に帰り、ドッグフードを与える。
二日目は午前中、座学だった。午後、いよいよ歩行訓練が始まった。訓練士の車で出かける。近くの公園だろうか、坂道を往復した。
恐怖だった。徳島での散歩は往診で慣れた道だったのだ。初めての道では、足がすくみそうになった。
「大変なことを申し込んでしまった」
酔っている場合ではなかった。ベッドに横になっても、スマホで音楽を聴く気にはなれなかった。
翌日は、信号機のある歩道で訓練した。エヴァンの足取りは軽快だ。私は腰が引ける。そんな私を見て訓練士が
「エヴァンに身を任せてください」
とアドバイスしてくれる。
(どうせなら、目をつぶって歩いてみよう。なまじ残った視力に頼っているから怖いんだ)
そう考えて、目を閉じた。しばらく歩くうち、恐怖心は一掃された。
訓練から帰った。
「お疲れさんです。今夜からエヴァンと一緒に過ごしてください」
訓練士が労ってくれた。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?