夕涼み
◆言うまいと
言うまいと 思えど 近年の 暑さかな
くどい話や昔話をするのは、年を取った証拠だ、とされる。酷暑に免じて、この際、大目に見ていただきたい。
◆それにしても
私の治療院を訪れるのは、四国の過疎地でもあり、大半は高齢者だ。
「昔の暑さとは格段の差がありますね」
私の口癖になっている。
ある方は次のような話をした。
「夏の夕暮れ時、庭に床几(しょうぎ)を出して家族で涼んだなあ。
ゴザを敷き、団扇(うちわ)でパタパタやった。蚊が襲ってくるんで、蚊取り線香を焚(た)いとったなあ」
◆村人の"社交場"
床几・団扇・蚊取り線香は「夕涼み三点セット」だった。
私の記憶では、団扇には二種類あった。ひとつはごく一般的な団扇、もうびとつは大きくて丈夫。表面に柿の渋を塗り、渋団扇と呼ばれた。たいてい、墨で達磨が描かれていた。
日によっては、スイカや甜瓜(まくわうり)なども並んだ。昼間、泉で冷やしておいたものだ。
老人の話は続く。
「近所の人が通ると
『まあ、涼んで行かんで』
と声をかけた。
よほど急用でもない限り、誘われたら、床几に腰を下ろし、どうということもない話で盛り上がったなあ」
◆団扇の引退
田舎の夏の風物詩だった。
最近ではどうか。
夕方でも庭に出ていようものなら、熱中症になる。
団扇はとっくにお役御免となっている。主役の座を奪ったのは、扇風機だった。しかし、扇風機が床几の上でのんびり首を振っている年月は、長くなかった。夕涼みをする家が少なくなったのである。
それに、クーラーが普及した。初めは贅沢品だったが、すっかり必需品となった。渋団扇の達磨は、納屋で埃をかぶって久しい。
◆クルマが村を変えた
村人が少なくなる、つまり村から都会などへ人口が流出するのと軌を一にして、山道が整備され、自家用車を持つ家が増えた。
「寄って、涼んで行かんで、と声をかけようにも、クルマでさっと行ってしまうからなあ」
その患者さんは寂しそうに笑った。
モータリゼーションもまた、夕涼みのあり様を変えたのである。クルマは村落共同体に楔(クサビ)を打ち込んだ面もある、と私は思う。
「それにしても、住めんようにしてしもうたなあ」
と、その老人。もちろん、地球環境の悪化、温暖化を言っている。同感である。