康村諒『アニメーション文化論 映像の起源から現代日本のアニメ』森話社
アニメーションの制作現場に40年以上いた著者が、アニメについて教える側になったことから、放送大学大学院の通信課程で学び、書いた修士論文を加筆修正したものが本書である。そのため、アニメの起源として、フランスのニオー洞窟の古代洞窟壁画から説き起こしている。
日本のアニメが産業として認められた一方で、産業として苦しむ日本がアニメがある。「ブラック」と呼ばれ、「やる気搾取」と呼ばれる産業について、著者の問題意識があると思われる。しかし、それについて解があるわけではない。ただ、その解決のためにも、「アニメーション」「映画」「アニメ」再定義を試みる。
本書では、「アニメ」を「現代日本で制作される商業アニメーション」を指すものとし、アニメーションと区別している。また、杉井ギザブロー氏の「アニメ」とは、限定的にTV用リミテッド・アニメーションを指す言葉という指摘も引用し、「アニメ」の起源とされる『鉄腕アトム』を理解しようとする。
エジソンがキネマスコープを発明した3年後、1896年11月、日本に伝来し、神戸の旅館で上映されたと言う。日本で最初に一般公開されたアニメーションは、1912年4月15日、浅草・帝国館におけるアメリカ・パテ社のエミール・コール制作『ニッパールの変形』であると言う。
翌年から、コールの「漫画映画」を輸入し、爆発的な人気を得る。下川凹天は、漫画映画の人気に注目し、漫画映画の制作を始める。独学で、自分一人で考えて行った。苦心の末、1917年1月頃、『芋川椋三 玄関番の巻』が完成した。
さらに、幸内純一の『なまくら刀』、北山清太郎の『猿蟹合戦』が制作された。北山は、『桃太郎』などの昔話や新しい童話を日活で制作し、逓信省貯金局の『貯金のすすめ』も制作した。その後、日活から独立し、日本最初のアニメーション専門スタジオ「北山映画製作所」を設立する。
第二次大戦後、1956年8月、東映は日動映画を買収し、「東映動画株式会社」(現東映アニメーション)を子会社として発足させる。1958年9月には、日本最初の長編色彩動画『白蛇伝』が完成する。第9回ベルリン市民文化賞を受賞するなど、海外でも評価された。これにより、アニメーションを志した人材は多い。宮崎駿がアニメーションを目指すきっかけの一つともなった。
手塚治虫は、当初、東映動画入社を断られるが、1958年夏、東映動画から、手塚の以前の作品『ぼくの孫悟空』の映画化を申し込まれる。東映動画の3作目が、手塚の『ぼくの孫悟空』を原作とした『西遊記』であった。しかし、手塚は、アニメーションにおけるプロダクションシステムの光と影を体現する。
アニメーションが個人制作の芸術から集団制作の芸術に変わり、単なる手工業から大きな産業へ脱皮する。一方、「ただ機械的に処理してゆくだけ、という作業には耐えられない」という感情をマンガの虫であるアヌメーターに与えることにもなる。
1961年6月、手塚は6人のスタッフで「手塚プロダクション動画部」を発足させる。第1作目は『ある街角の物語』で、第1回大藤賞、ブルー・リボン賞、芸術祭奨励賞を受賞する。1962年12月、「株式会社虫プロダクション」を発足させる。
光文社の雑誌『少年』に連載されていた『鉄腕アトム』をフジテレビで映像化されることが決まる。スタッフを51人に増強し、10人編成で5班に分け、1班が5週間かけて30分のアニメーションを作る。第1作は1962年10月に完成し、翌年元旦夜6時15分から放送された。
手塚は制作コストを押さえるために「バンク・システム」を考案した。一度使用した動画セルを使い回すことで、作画枚数を減らした。視聴率は最高 40%、悪くても20%を維持したが、技術的に評価する人はいなかった。しかし、手塚の低予算でのアニメ制作の受注が、今でも日本のアニメーター、アニメスタッフを経済的に苦しめることとなる。
手塚のプロダクション経営は安い制作費で、経営は赤字となったが、アメリカの3大ネットワークの一つNBCが『鉄腕アトム』52本を購入する。最低保証放送権料1本1万ドルで、『Astro Boy』と改題され、土曜日午後6時からのゴールデンタイムの放送で高視聴率を上げる。これにより、日本のアニメが世界に知られるようになる。
『鉄腕アトム』は配給契約であったことから、タイトルの変更以外の改変を許さなかった。そのため、クレジット・タイトルに虫プロダクションや、スタッフの氏名がはっきり出た。日本で作られた状態のまま世界で放送されることがルールとなった。
しかし、現在、アニメーターやアニメスタッフの「掛け持ち」と、「海外への発注」がスタッフの疲弊と産業の空洞化とい事象に結びついている。非常に危うい労働力、厳しいスケジュール環境の中、現在の日本のアニメは存在している。
さらに製作委員会方式が採られるため、規模や利益を出すシステムが異なる会社同士が契約を結ぶことから、簡単に契約締結に到らない。すべての制作・放送を終えた後になっても資金がアニメ制作会社に入らないこともよくある。銀行借り入れの利子はアニメ制作会社の負担となる。
興業収入の50%が配給会社に戻り、残りの配給収入の20~40%が配給会社の手数料となるので、10億円の興業収入があっても、平均3.8億円しか製作委員会に入らない。5億円の経費がかかれば、1億2千万円の赤字となってしまう。DVD化の制作印税も制作会社は僅か1~2%である。
アニメーションの歴史とともに日本のアニメ業界の問題点を指摘する内容となっている。一企業の利益だけを追求するのでなく、法律の制定、行政指導、制作スタッフへの利益還元システムの構築等、業界全体の未来を考えるときであると著者は主張している。
アニメをつくる「制作」と、それによって商売をする「製作」の2つの立場が公平でないことが最大の問題点と見たが正しいだろうか。政府のクールジャパン政策での重要な産業の一つである「アニメ」について問題点を理解し、考えるだけでなく、それを直すことが必要であると感じた。
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