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ぼくのおばちゃん性
よくわかんないんだけど、おばちゃんたちに服を褒められることがある。
おばちゃんといっても、ぼくがすでにおっちゃんなので、そのおっちゃんから見てのおばちゃん、いまだおばあちゃんではないうら若き女性たちのことである。
褒められるといっても、小綺麗な格好だと褒められるのではない。
たとえばぼくは、腰回りから腿のあたりはだぶっとしていて足首にかけてすっと細くなる、なんと呼べばいいのか知らないが、乗馬ズボンが太くなったようなラインのパンツ(もちろんズボンのことです)をよく履くのだが、なかでも、大きなペイズリー柄が全面に入ったものや、白に黒のどぎつい模様——サムネイル画像がそうなのだが、なんというか、かつての8ビットシューティングゲームの敵キャラのようだ——が全面に入ったものによく反応してくれる。
「あら、ええズボンはいてはるやん、どこで買いはったん! ええやんかあ、よう似合ってはるわ!」
という感じである。まあ、嬉しいんだけど。
*
ところで昔から、といっても服に関心を持ち出した頃から、ぼくはいわゆる女性ものの服に惹きつけられる。というか、いまでも街やネットで服を見てまわっていると、メンズとレディースに同じアイテムがあれば、形も色も模様も、たいていレディースのほうがいいと感じる。
メンズの商品はなんというか、オーソドックスなかたちの無地の地味な色を2、3パターンくらい出しとけって感じのことが多い気がして。
靴も、たとえばあまり履かないけれど革靴の話をしてみると、履き口が大きく開いた、平板で、つま先に丸みのある、ゆるいパンプスのようなデザインに惹かれる。
メンズの靴はごつごつしていてなんかやだ。「おれは…男だぜ…」って声が聞こえてくる気がする。それにたいしてパンプスは——ちょっと前にパンプスが炎上していたけれど、それとはまったくことなる観点で、しかし本当にパンプスという種類なのか自信はないが——柔らかくて素敵だと思う。
まだある。
髪型も数年前からベリーショートに惹かれている。しかし、女性のベリーショート。その髪型をした女性が好きというわけではなくて、自分が女性のベリーショートの雰囲気をまといたいのだ。
髪を切りにいったとき、女性の写真を見せつつ思い切って聞いてみたことがある。
「いやあ、でもやっぱ男がやったらスポーツ刈りみたいな感じになるんじゃないっすか(笑)とくに山内さんは大きいし。でもイカつくて格好いいと思いますよ」
「イカつくて格好いい」! このときの衝撃といったらない。ベリーショートにしたらあの中性的な柔らかい雰囲気になると思っていたのに…スポーツ刈り!
そうなのだ。ぼくはどうしようもなくでかいのだ。
そういえばまだ七分丈といえば女性が着るもので、男性はTシャツかロンTの二択が普通だった頃、意を決して女性用の七分丈シャツのLかLLだったかを買ったことがある。
「ゆったりめなので男性の方でも着れるんじゃないかと思います(ニコッ)」
着てみたときのあの醜態は忘れられない。どう考えても五分にしか見えない袖、胸や肩ははち切れんばかりに伸びきって、裾はヘソくらいまでめくれ上がっていた。上半身にギチギチの拘束具を装着されたような歪んだ姿がそこにあった…。
*
なんの話かよくわからなくなってきたんだけど、ともかく、なにかそういう人生だった。
いまやぼくもおっちゃんになった。つまりはぼくの好みも不可逆的におばちゃんになり、結果的に世のおばちゃんたちの趣味と幸福な一致をとげてしまっているのではないか…こう考えてみると、なにか腑に落ちた。
ぼくのなかにはおばちゃんがいる。
いわゆる大阪のおばちゃんの代名詞とされている——などと言ったら大多数の大阪のおばちゃんの反感を買うだろうけれど——ヒョウ柄やトラ柄としてのペイズリー、あるいはインベーダー。
とはいえぼくには、一皮むくまでもなくそうなのだが、田舎のおっちゃんみたいなところがある。暑くなってくるとすぐに半袖、半パン、ビーサンになる。よくいえば少年なのだが、おっちゃんとはたいてい少年のままだからこそ愛くるしくもあり、害をおよぼすものでもあるだろう。
まれに表面に現れる、自分のなかの少年のようなデリカシーのなさに、驚き、反省し、ときに落ち込んだりもする。
だからこうも思う。
結局は自らの奥深くに潜む田舎のおっちゃん性を、あるいは少年性を中和し、できるだけ解体し、あるいは覆い隠すためにこそ、ぼくのなかのおばちゃんはかたちづくられたのかもしれないと。