KIKO (樹)
気功と言うのが一般的ですね
それをあえて、アルファベットにしました
漢字はね、便利な器ではありますが、私にすれば、言ってみれば気功という名の一つの形、道具に過ぎません
宇宙の、神の、人の、自分の
「気」
そういうことで一括りにしてしまうのは、あまりに乱暴で雑だと言わざるを得ません
医学で言うならば、気功という分類は、医学で言うならば、大昔の東洋医学です
何が弱点か、わかりますか?
それは、体の外側でその解釈が止まってしまっていると言うこと
医学で言うなら、外科が無い、神経や血管と言う存在はわかってはいても、その器官や内臓の機能は推論の域を出ては居ないということです
東洋医学には、手術というものは、存在しない、内臓の機能の特定は出来ない
あのね、科学実験という実証実験を経てないんです、これはどうしようもない弱点ですよね
だから、昔の戦場では腹を切られたり刺されたりしたらもう助からないというのが当たり前だった
こうすれば、こうなる、それをね、膨大な人体実験で行っていたんですが、そこには
原因と結果があるだけ
なぜ、そうなるのか?という
そこへ至る理由がわかっていなかったんです
単純な話、血で栄養が、神経で電気信号が送られ、肺で酸素が、そういった、素材と作用と結果の道筋がわかっていなかった
たしかにね、葛根湯を飲めば風邪に効くんだけど、その葛の根の、どういう成分がどこの器官に浸透してどういう体の反応が起きて、風邪の症状が治まる、という
科学実験結果が無かった
あのね、気、にも、そうした、科学的な考え方が必要なんですよ
手をかざして、神や宇宙や自分の気を出す?
そりゃ出るでしょうけど、それはどうやって?って話なんですよ
その神や宇宙の気とやらを自分の身体に引いて出すために、どういう身体の使い方をして、体のどの器官を使って、引いて、出すのか?って話なんです
亀って背中に書いた道着を着て、野沢○子さんみたいな声で
「かーめーはーめーーはーーー!!」って叫んで両手を突き出しても、何も出ないでしょ?
物事には、ここをこうしてこうしたら、こうなる、という順番がある
気を出すコントロール部分がね、こめかみのところにあるんですよ
そこを物理的に刺激する事で、ほんの一瞬、その眠っている組織に動く
頭ぶつけたら目から火花が出るって言うでしょ?
それ、気の火花なんですよ
目の奥に何があります?
こめかみがあるでしょ?
簡単な話なんですよ
こうして、紙切れを動かすくらいなら、特に練習しなくても、誰でも出来るようになります
ただ簡単な体の使い方を知ればいいだけ
歩き、話し、手で持つのと同じです
(樹)