自分、に戻るとき。
長い間、感情をなるべく無にするようにしてきた。
こどもの情緒に悪影響を及ぼさない程度には喜・楽は使って。
一時は楽、の感情もわからなくなって、顔面麻痺の状態のときもあった。
笑い、を思い出したあとでも、怒や哀や、苦は影響を受けないように、まともに受けてしまっていたらなにも回らなくなるから。
ほんとはセンサーが過敏だから、「感じないように無になる」というのもエネルギーがだいぶ消耗されていたのだと思う。
まず、怒りが止められなくなった。それは家庭内とか知り合いに怒鳴り散らすっていう意味ではなく、社会ってそういうものだよね、っていう大人の考えができなくなったってこと。
不条理や、敬意のない言葉に瞬発的に腹が立つ。メンタル的にバランスを崩した?とも思ったけど、振り返ってみればもともと自分はこんなやつだった。
意外と感情的。なんでも受け入れるココロの広い、、っていうタイプじゃなかったはず。
そして、ものすごく物を片付けたい。生活するうえで必要だと思ってそろえるもの、ほんとうはいらなくない、って思ってしまうタイプ。
ひとりになるスペースや、たまにちゃんと家具の揃った場所で過ごしたくはなるけど、基本ドミトリーやシェアハウスで生活できるタイプだった。
たくさんのモノは身にあまる。
服や小物も、自分が使いやすいものが定番揃っていればいい。
なにか、のために感情を麻痺させる生活より、
感情の部分を守るために、ほかのことを工夫する
これからはそっちにシフト。
無、も悪いことじゃない。感情も影響ばかり受けるのはしんどい。
ただ、ちょっとイヤと感じることは、からだのために避けることはちゃんとしたセルフマネジメントなんだと思う。
逃げや甘え、じゃなくて、
「ちゃんとマネジメントを考えないことが逃げ」
だから、引きこもりも不登校も、どうしていきたいかちゃんと考えていれば、それは「逃げ」と何もわからないひとたちは名づけがちだけど、「セルフマネジメント」しようと責任を果たしてるのであって、流されるままに
自分はなにがしたいのか
を自分のなかじゃなくて、外の正解に合わせている人が、自分から逃げている。だから、そんな言葉は無視して、向き合っていることを褒めてあげたらいい、と最近そう思っています。