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被害妄想の定義って?

私は言葉にとてもこだわりがあるそうだ。

人と話していても、自分自身が発した言葉を振り返って、余計なことを伝えてしまった、適切でない伝え方をしてしまった、そうやって反省することも多い。

他人の言い方にいちいち反応しすぎと指摘されることもあるし、被害妄想だと指摘されることもあるけれど・・・

うーん。それはどうだろう。

多分、被害妄想という
言葉の意味の取り方が違うんだわ。

表情や声や伝え方によって好きだなと思うこともあれば苦手だと思うこともある。

苦手だと思うこと自体が心の中で私が勝手に決めていることだから「被害妄想」というのならそうなんだろう。

私は苦手だなと感じること自体相手からの被害とは思っていないから、被害者とも思っていない。

それに、被害者かどうかは自分が決めることであり、他人が決められることではない。

それをされてめっちゃ迷惑して困ってるんですー、と相談したわけでもない。 

自分にとって得意か苦手か伝えただけだ。

どっちが被害者かって、勝手に苦手だと思われている人の方が被害者なのかもしれない。

だとしたら、苦手と思われている相手が被害妄想をしているのではないだろうか。

だから苦手なことを素直に伝えただけでそれを「被害妄想」と呼ばれるのは非常に不快である。

それに、相手はそんなつもりで言っていないとしても、傷つくひとがいたとき、そんなの被害妄想よと言えるのだろうか?

まずは、そんなつもりでなくても「ごめんなさい」だろう。

そして「ごめんなさい」の後に「でも」「だって」と否定の接続し続けると「ごめんなさい」は帳消しになるから要注意で。

どんな言葉にも、どんな状況にも揺れない心を持てば人は最強なのかもしれない。

どんな言葉にも、どんな状況にも「感謝!!!」と心底思えたら人は死んでも幸せなのかもしれない。

だけど、それが私には幸せとは思えないし、人間の香りを感じないから。

結局のところ、言葉で傷つくかつかないかなんてわからないし、どんな言葉を選んでも傷つけるときもあるし、言葉を選ばなくても傷つけないこともある。

ね?だからお互い気にしても無駄じゃない??という人もたくさんいる。

実は、心地よい人間関係において一番大事なのは言葉ではない。

信頼関係である。

信頼関係がないと、同じことを伝えても「なぜあなたに言われなければならないのか?」となるだけだから。

えー?誰とでもオープンに行きましょうよ!人との出会いは財産ですよ~という人もたくさんいる。

実は、限られた大事な人たちと安心して生きるということが財産であるという人間もいるのだ。

そんなタイプは信頼できる人間か判断するのに重きを置くので、誰とでもオープンになんていく事はあまりない。

なので、初対面でえー?誰とでもオープンに行きましょうよ!人との出会いは財産ですよ~なんて良かれと思って励まされても、信頼関係がないので「なぜあなたに言われなければならないのか?」となることも多い。

人生には限りがある。

その限られた時間をどうするかは自分が決める。

誰とでも仲良くしたいと思うならすればいいし、苦手な相手を受け入れるために時間を使うよりも好きな人との時間に使いたいと思うならそうすればいいし、他にも考えはたくさんあるだろう。

私が言葉にこだわりがあるのは、たくさん傷ついたからだ。

悪気がなければ何を言ってもいいというのは、自分が傷つきたくないという思いの現れではないか?傷ついた人本人の問題だから、関係ないのだろうか?

そういう人に良くあるのが「世界は自分が作っているから~」とかいうやつなのだが、よく考えて欲しい。

仮にそうだとして、自分が作った世界、ひとりじゃなくて脇役がいるはず。
自分以外のすべては脇役で自分世界を作ってくれる大事な出演者なのだ。


脇役の皆さんが苦しんだり、悲しんだりしていたら、自分の世界は苦しい人、悲しい人を置き去りにした独裁者の物語にしかならないし、そんな人に脇役たちは主役を輝かせようと動いてくれるのだろうか??

世界は自分が作っているのなら、脇役さんとの信頼関係を作るために相手の気持ちを考える必要もあるのだ。

言葉より大事なのは信頼関係である。

その信頼関係を作る要素の一つに言葉がある。

だから、言葉を意識しないことは、私の世界を幸せにしない。

【被害妄想】かどうかは自分が自分自身に決めるものであり、他人に決められるものではない。

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