MMTという語の混同
MMTという語は今日、「現代貨幣理論」とそれを基に「MMTの提唱者らが主張した政策」の2つの意味で用いられている。
「現代貨幣理論」の部分には主流派経済学のニューケインジアンも反対しておらず、現代貨幣理論で提唱された貨幣の特性は主流派経済学でも共通した認識であり、また、新古典派等によって行われた反駁の試みは全て失敗している。
コロナ禍以降、各国で財政支出が増やされた(アメリカなどは今も増やしたまま)のも、MMTによって、自国通貨を持ち自国通貨建てで国債発行する国家がそう簡単に財政破綻や破滅的なインフレに陥らない事が理論的に実証されたのが一因であり、現代貨幣理論は既に現実の政策決定にも適用されている妥当な理論といえる。
一方の「MMTの提唱者らが主張した政策」とはすなわち財政偏重金融軽視のポスト・ケインジアン的政策になる。
MMTといえば「国債は無限に発行できる」で有名だが、MMTの主唱者は国債自体に反対であり、通貨発行でよいとしている。
MMTの提唱者らが主張した政策にはJGPなどインフレにしない方策はあるが、インフレになった場合の対処としては支出減・増税に頼る他無い。
そのため、有権者の反感を買う歳出カットや増税が本当に実現できるのか、予算編成などに関わる実務的な面から景気に対する即応性が低い点など、今日行われている金融政策中心の政策論からすれば、現行制度の代替としては実現性や妥当性に難がある事は否めない。
一言で言えば、「現代貨幣理論」の方は現実に即した否定しようのない理論だが、「MMTの提唱者らが主張した政策」の方は批判の余地がある政策という事。
これを一緒くたにすると、政策面への批判を援用して貨幣理論も反駁可能と誤解したり、逆に貨幣理論の無謬性が政策面まで及ぶと錯覚してしまう可能性がある。
今日、「現代貨幣理論」を攻撃するのは、モンティ・ホール問題で大衆が自分の常識を疑えず、正しい説を間違いと思い込んで攻撃したのと同じような話で、自説を疑えず思い込みで判断するという意味で「ワクチン接種で5Gに繋がる」みたいなのと本質的に大差ない。
借金は返さなくてはならないからMMTは間違っているという人は、トリクルダウン理論が成立しないことを証明したピケティの講演に来てアベノミクスはトリクルダウンだから大丈夫と言ってのけた議員並みにワケがわかっていない事を自覚すべきである(そもアベノミクス自体トリクルダウン政策ではなく、むしろそれがアベノミクスを頓挫させた原因とすらいえる)。
しかし、MMTの提唱者らが主張した政策の方には真っ当な批判もあり、この部分は単純な正誤で表せない話でもある。
ぶっちゃけ、「現代貨幣理論」で示された所謂【MMTのレンズ】を前提として、ニューケインジアン的な金融政策を主として財政政策を従とする今まで通りの経済政策を取るのが一番いいという話になってくる。
アメリカ様などは、今現在まさにそんな感じにやっているが、これがMMT以前と違うのは財政均衡を考慮する必要がなくなったという点。
アメリカは以前、これ以上に債務残高が増えれば国が傾くといわれていた水準を軽く突破してもハイパーインフレにもデフォルトにもならなかった上、MMTによって理論的にも財政均衡に意味がない事が実証された。
アメリカの場合、もはや天災や戦火で国土が荒廃するか議会が政治的にデフォルトを起こさせないかぎりは財政破綻する可能性が皆無であることは疑いようがない。
(ちなみに、最近、投機筋に米国のデフォルト懸念を言う人がいるが、これは彼らが彼らの常識で話しているだけで現実に即していない)
つまり、財政は”必要な分を必要なだけ支出”するのが最適であり、インフレや景気対策などは主に金融政策を以て対処するという当然といえば当然の政策に結論されるわけである。
しかし、今の日本を鑑みれば、各省庁が必要だと思って請求した予算をカットし、生活保護を門前払いし、不景気に増税するという、当然の政策に真っ向から反する状態にある。
「必要な分を必要なだけ支出しない財政政策」を是とする今日の日本にとって、【MMTのレンズ】は経済政策ばかりかまともな国家運営にとって必須といえよう。