メイキング・オブ・ムナカタ あなたは私の神さま
友人Aちゃんが誕生日プレゼントにくれた招待券で、富山県美術館の棟方志功展を見に行った。
Aちゃんとはよく、「芸術家になる。と決めたら、芸術家になれる。」という話をしていた。ワンピースのルフィのように。「海賊王になる!」と決めた瞬間から、物語がはじまる。
棟方志功は、「わだはゴッホになる」と決めていた。そして、子どもの頃のあだ名は本人の口癖からきた「セカイイチ」。もはやルフィとしか思えないのだけど、棟方のエピソードを辿る県美の展示は圧巻でした。
ルフィはひとつなぎの大秘宝を探す航海へ出たけれど、棟方志功の探し求めたものは一体何だったのだろう。
私の棟方のイメージは、「神仏の姿を彫った人」だった。ふくよかでユーモラスな表情の仏様たちは、棟方のガハハっとした笑顔同様、見る人をホッとさせる。なんだか、本当に生きている人みたいなんだよなーと思いながら見ていたら、本当に生きている人をモデルに神仏を描いた作品もあった。
棟方志功は字も良い。踊り狂ったような字はもはや読む気が起きないけれど(悪口じゃないよ!)、見ているだけで元気になれる。棟方志功の字は、彼のしゃがれ声で脳内再生されてしまう。圧がすごい、クセがすごい。
私は、彼が描いた風景にも、文字にも、全ての作品に仏や神を感じる。日の出、日没、星月夜、自然が見せる変化、町並み、物語、書、彼は見たもの全てに“神さま”が見えていたのだと思う。
その神さまは、神話や仏教などの既にあるイメージだけでなく、全てを超越し、この世とあの世をごっちゃにしてしまうような、祭の日に沸き立つアドレナリンみたいなものだろう。生きとし生けるものを生きさせるためのエネルギー。
彼は「ゴッホになる!」というアドレナリンを出しながら、この世の全てにアドレナリンを感じ、板のアドレナリンを探り当てつつ、己のアドレナリンを表現した。ねぶたの喧騒のような勢いのまま、実直に。
はやく!はやく!はやく!という、彼の息遣いや心臓の音が聞こえてくるような作品の数々に、ちょっと疲れてしまったので、ベンチで休憩をしっかりと取りながら鑑賞しました。なんせ、一点一点がルフィみたいなんだもの。エネルギーがすごい。
彼はゴッホを目指し、世界のムナカタとなった。小さな頃の口ぐせである、「セカイイチ」になったのだ。自分が何をしたいのか、どんな人生にしたいのかは、口にしないと誰にも伝わらない。彼は言いまくり、彫りまくり、叶えた。
ゴッホは彼にとっての神さまとなり、いつしか目指すべき理想となった。神さまを彫り続け、板の中にその姿を探り続けた。
棟方志功の棟方志功っぷりにしか、救えないものがある。だから、私はどんなに疲れようともまた見に行く。それはまさに、神さまに会うための巡礼の旅のようだ。
彼が見つけた神さまを、彼の作品を通して見ることができる幸せ。彼が感じた心の震えを、私も感じることができる幸せ。好きな人の眼差しを介して見る、この世界は美しい。
あなたは私の神さま。夢中で何かを探し、彫り続けた生き様は、今日もどこかで誰かを救う。