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上巳の節句(ひなまつり) 講座テキスト



1.はじめに

雛祭りは日本の年中行事の一つで、特に女児の健やかな成長と幸福を願う日として広く知られています。
しかし、本来は「上巳(じょうし)の節句」と呼ばれており、3月はじめの巳の日に厄払いを行う風習が起源です。
この上巳の節句は中国や日本の古代から伝わる厄払い文化を背景としており、季節の変わり目である春先に災厄を祓う考え方が根底にあります。
日本人は古来より自然の移ろいと共生してきたため、季節の節目にあたる行事には“厄除け”や“健康祈願”が深く結びつきました。
そうした背景が「子どもの健やかな成長を願う」という形で、現在の雛祭りに受け継がれているのです。

【補足】上巳の節句が「3月上旬の最初の巳の日」に厄払いを行う風習であったことは、中国から伝わった「上巳」の行事に由来します(『延喜式』『紫式部日記』に記載があります)。


2.上巳の節句とは

2.1.上巳の節句の概要

  • 3月3日に行われる日本の伝統行事。もとは「3月上旬の最初の巳の日」に厄払いを行う習慣だった。

  • 「巳(み)」という干支が陰陽五行説で特別視され、邪気を祓うのにふさわしい日と考えられていた。

  • 陰陽五行説では天地の気が巡り合う節目や、陰陽が切り替わるタイミングを重要視する。3月上旬は寒さが緩み、春が本格的に始まる頃でもある。

  • 古代中国での水辺で身を清める「上巳(じょうし)」という行事が日本に伝わり、日本固有の風土や信仰と融合して「雛祭り」という形に発展した。

相生と相克の関係図・陰陽五行

【補足】
・平安時代には宮廷行事として定着し、人形(ひとがた)を使って川に流したりする風習が文献に見られます(『延喜式』・『紫式部日記』)。
・江戸時代には幕府の公式行事の一つ(五節句)となり、庶民にも普及しました。


3.雛祭りと流し雛

3.1.流し雛の起源

  • 紙や草で作った人形(ひとがた)に人の罪や穢れを移し、川へ流すことで厄を祓う習慣が「流し雛」。

流し雛
  • 水には古来より「浄化」の力があるとされ、不浄や災厄を遠ざけると信じられてきた。

  • 宮廷行事としては平安時代に「曲水の宴(きょくすいのえん)」があり、川に杯を浮かべて和歌を詠む風雅な行事から派生したともいわれる。

  • 江戸時代以降、庶民の間でも流し雛が盛んに行われ、現在でも地域や神社で継承されている。


歌川芳輝 肉筆浮世絵 「曲水の宴図」

【補足】
・『御湯殿上日記』など宮中関連の記録にも、人形を流して厄を祓う記述が見受けられます。
・現在では観光行事として定着している地域もあり、文化財や地域資源として保護されている例も多くあります。
・曲水の宴とは、水の流れのある庭園などで、その流れのふちに出席者が座り流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を詠み、出来なければ罰として盃の酒を飲むという行事です。


4.節句の意味と漢字の違い

4.1.「節句」と「節供」の語源

  • 本来の表記は「節供(せっく)」。神仏に供物を捧げる意味を持つ。

  • 「供える」「神仏に奉る」という意味の「供」という漢字が入るのは、季節の変わり目(節目)に神仏に感謝や祈願を行う行事だから。

  • 時代を経て、神仏だけでなく子どもの幸福を祈る行事として広がり、家族や地域社会で供物を分かち合う形へと変化していった。

  • 現代では「節句(せっく)」と略字で書かれることが多く、マスコミ等ではさらに読みやすく「節句」と記載される。

  • 伝統や神仏への敬意から、本来の「節供」表記にこだわる人々もいる。

【補足】古い文献には「節供」の字が使われており、五節句(上巳・端午・七夕・重陽など)でも同様に「節供」と表記されています。


5.雛人形の配置と意味

5.1.雛人形の歴史的背景

  • 平安時代の貴族文化の中で、子どもの厄を人形に託して祓う風習と人形遊び(ひいな遊び)が結びつき、贅沢な人形を飾る文化が生まれた。

  • 江戸時代には武家や大商人が競って豪華な雛飾りを作り、家の繁栄を示すシンボルにもなった。

  • 明治以降、庶民家庭にも広がり、「女の子の健やかな成長を願う」行事として全国に定着。

  • 雛人形の配置や役割は、公家・武家・町人など各階層の風習が融合して複雑化。

  • 京雛(関西雛)と関東雛など、地域ごとに配置や意匠が異なるのは長い歴史の過程で多様化した結果。

【補足】『紫式部日記』には、宮廷で人形を水に流す記述だけでなく、貴族の間での「ひいな遊び」の記録もあります。


5.2.男雛・女雛(お内裏様とお雛様)

  • 関東雛:向かって左に男雛(天皇)、右に女雛(皇后)。

  • 関西雛(京雛):向かって右に男雛、左に女雛。

【主な理由】

  1. 古代中国の宮廷儀礼では「左上位」の考え方があり、平安~室町~江戸初期までは男雛が右、女雛が左に並ぶ形が主流だった。

  2. 昭和天皇即位の際、公式写真で天皇陛下が向かって左に立たれた映像が広まり、関東を中心に「男雛左・女雛右」の並びが定着。

  3. 宮中儀礼の“三尊形式”という考え方や地域の慣習などが複雑に絡み合い、現在ではどちらの並べ方も認められている。

【補足】

  • 『紫式部日記』や宮中の古文書には、貴族の並び方が「男は右、女は左」といった記述が多く見られます。

  • 現代では「どちらも正解」であり、その地域や家庭の伝統に従うことが一般的です。


5.3.三人官女

  • 二段目に配置され、婚礼の酒席での給仕を行う女官を表現。

  • 中央が既婚者(お歯黒などの表現がある場合も)で、左右は未婚者。

  • 江戸期の武家礼法を反映し、格付けや序列が示されている。

  • 雛祭りを通して、子どもが結婚や礼儀作法を仮想体験する意味も込められていた。

【補足】

  • 三人官女が持つ道具や装束は、当時の宮中・武家の婚礼儀式を縮小した形です。『貞丈雑記』など江戸期の風俗資料に記載あり。


5.4.五人囃子・随身・仕丁

  • 五人囃子:雅楽や能楽を担当する少年を模した人形。祝宴を盛り上げる役割。

  • 随身(ずいしん):右大臣と左大臣で、男雛・女雛の護衛役。

  • 仕丁(しちょう):日常雑務を担い、「喜怒哀楽」など庶民的感情を象徴する。

  • 雛段は「宮中・武家の婚礼行列」を縮図的に表し、家の安泰・子の出世を願う形として定着。

【補足】

  • 五人囃子が持つ楽器(笛、太鼓、大鼓、小鼓、謡)も、宮廷や能楽で用いられる正式な楽器構成と対応しています。


6.行事食とその意味

6.1.菱餅

  • 三色(緑・白・赤)の意味

  緑:大地や草木の新芽
  白:雪や清浄
  赤:桃の花や魔除け

  • 冬から春へ移り変わる季節を餅で表現し、赤には魔除けの力があると信じられてきた。

  • 五節句の一つである雛祭りでは、季節の移ろいを料理や菓子に反映する伝統がある。

【補足】『貞丈雑記』という江戸時代の雑学書にも色の呪術的意味が詳細に解説されている。


6.2.雛あられ

  • 関東ではポン菓子に甘い味付けが主流、関西では焼きや炒りタイプで塩味・醤油味も多い。

  • 菱餅を砕いて作るという説があり、三色の転用とも言われる。

  • 手軽に食べられ、子どもに親しみやすい行事食として普及した。

【補足】昭和以降、製菓メーカーの多様な商品展開により地域差が顕著になった。


6.3.白酒

  • 江戸時代に神田鎌倉町の豊島屋が始めたとされる。

  • 口当たりがよく、女性や子どもにも飲みやすかったことから“桃の節句”の行事酒として普及。

  • 甘酒(ノンアルコールまたは低アルコール)で代用する家庭も増え、現在は子どもは甘酒、大人は白酒というスタイルも一般的。

『江戸名所図会 1巻』より「鎌倉町豊島屋酒店 白酒を商う図(かまくらちょうとしまやしゅてん しろざけをあきなうず)」 斎藤長秋(さいとうちょうしゅう)編 長谷川雪旦(はせがわせったん)画 天保5年(1834)~天保7年(1836)刊 加賀文庫 加256

6.4.蛤の吸い物

  • 蛤は「元の貝殻同士でしかぴったり合わない」ことから夫婦和合の象徴。

  • 平安貴族の遊び「貝覆い(かいおおい)」でも重用された。

  • 江戸期の儒教的道徳観で「貞節」の象徴とされ、婚礼料理にも取り入れられた。

  • 雛祭りでは婚礼を仮想する意味合いがあり、蛤の吸い物が祝いの席を彩る。

貝覆い(引用:http://www.grand.nir.jp/~k-e-wada/index.htm)

7.伝統文化としての雛祭り

7.1.庶民文化への広がり

  • 平安貴族の風習が、江戸時代の町人文化や大商家の“豪華な雛飾り競争”を通じて庶民にも普及。

  • 幕府の五節句制度で3月3日が「上巳の節句」として定着。

  • 町人の豊かさや文化力が高まるにつれ、雛飾りを家に飾り「見栄」を張る風習が広がる。

  • 明治以降も「女性の健やかな成長」「家庭教育」の場として重視された。

  • 現代では住宅事情等で段飾りが減っているが、雛人形や関連行事への需要・関心は根強い。


8.まとめ

8.1.上巳の節句の意義

  • 上巳の節句(雛祭り)は、厄払いと女児の健やかな成長・幸福を祈る日本特有の行事。

  • 水辺で人形を流す「流し雛」から宮廷・武家文化、そして庶民文化へと波及し、今日の形が生まれた。

  • 雛段は社会階層や役割を象徴的に示し、礼法・信仰など日本文化の奥深さを伝えている。

  • 菱餅・雛あられ・白酒・蛤の吸い物などの行事食には、季節感や厄除け、縁結びなど多彩な願いが込められている。

  • 古くから続く節句を通じて、“四季と共に生きる精神”や“家族・コミュニティを大切にする考え方”が次世代に受け継がれている。


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