13回目の3月11日。
干支を一周する年月が経った。この12回の間、震災の年に災害ボランティアで活動した土地を再訪した年があれば、東京で黙とうをささげただけの年もあり、忙しなく過ごしてしまった年もある。
そのような中でも、過去の記録を見ると、やはり立ち止まって振り返ることが多かったように思う。
今年のあの時間【14時46分】は、学童クラブで勤務している時間だ。
今の小学生はすべからく、震災後の生まれとなった事実に衝撃を受ける。
時の流れは、災害があろうと中あろうと、一度も立ち止まることなく過ぎていく。そもそも地震や津波などのことを「災害」と言っているのは人間だけなのだから当然と言えば当然のことだ。
自然。
人の言う災害も森羅万象の一つに過ぎない。
その自然の中に生きている命として、それをどう受け止めていけばいいのかの歴史が、人類の歩みそのものなのかもしれないし、自然を解釈して対応・適応して、あるいは目を背けて対抗する活動こそが人類の「発展」の根源なのかもしれない。
自然。
どうすることもできないのだから、と受け入れることができないこともある。
できることは常にある。
なにをするか、しないか。
人生は選択の連続だ。それが自然に即したことであってもそうでなくても
自然は否応なしに僕らを包み込んでいるし、時間は流れていく。
ただ、そのような中でも、薄れつつあるあの日感じたことを
13回目のいま感じていることを
そしてこれから起こるであろう「自然」に対してどう選択していくかを
考える日にしてみようと思う。
13年後に起きた能登半島地震に起因する震災を受けて、改めてそう思うのでした。