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不老山

令和元年6月16日、雨上がる。

前日の大雨の反動か、新宿の空はカラリと晴れあがった。勝利宣言だ。先週、6月9日の栗城さんの誕生日に行けなかった山梨の不老山にリベンジ。

永遠に年をとらず、永久に色褪せることのない想い出をくれた栗城さんにピッタリの山名だ。

中央沿線の山の中でも、とりわけ新宿から近い不老山は、ゆっくりしたスタートで1日が始まる。いつもは4時台の始発で向かうところが、バスの始発に合わせて6時に家を出た。

なか卯の納豆定食のあと、栗城さんが好きだったプッチンプリン、クレープ、コーラをセブンイレブンで買う。

京王線の特急で高尾に向かい、中央線に乗り換え。お年寄りは“高齢者”という免罪符からか、座席を占拠して傍若無人な振る舞い。そんな眼差しを向ける自分も感謝を忘れていることに気づく。仕事のストレスもあるのか、横柄になってしまっていた。

上野原駅、8時35分のバスに揺られる。車窓の穏やかな風景が少し心を落ち着かせてくれた。梅雨にこんな快晴と穏やかな風景に恵まれるだけ、ありがたい。

今回は少し変わったルートを選択。不老山(839m)が目的だが先に標高の高い高指山(911m)から攻め、「下山しながら登頂する」

『一日の山 中央線 私の山旅』の中で、著者の横山厚夫さんが登られたルートと同じ。横山さんは、一風変わった登山法を「プモリに登るのにエヴェレストを越えていくようなものさ」と見事な表現をされている。

この文に続く言葉が「小さな山にはハンデをつけてやらねばならない」であるが、自分の場合は“小さな山”に痛い目に遭わされる。

高指山は登山者も少ないため、標識がない。輪をかけての方向音痴である自分が道迷いに遭わないはずがない。短い山行の中で実に4回も彷徨するハメになってしまった。昔の岳人が見たら「それ見たことか。GPSに侵された若輩者の末路がこれだ」と叱責されても仕方ない。

1時間以内に到着するはずが、予定より30分もオーバーして高指山へ。樹林帯の中、閑かで誰もいない登頂となった。

汗が吹き出す。他人から見れば、泣きながら登っているように見えるかもしれない。いや、どこかで涙も混じっているのだろう。それは嬉し涙か悲し涙かは自分にも分からない。それでも登り続ける。写真を1枚だけ撮り、駆け足で不老山に下る。11時5分発のバスに間に合わせるためだ。

不老山の頂上では、お年寄りの男性が涼んでおられた。高齢者の単独登山で、これから高指山に向かうとのこと。急登なうえに紙の地図しか持っておらず、自分のように迷わなければいいが。

栗城さんへのお供え物で写真を撮り、下山。すでに時間は10時44分。あと20分しかない。ここから不老下バス停まで、標準タイムは1時間ジャスト。どう考えても無理だ。

しかし、新宿で一番あきらめの悪い男。大急ぎで山を駆ける。怪我とは紙一重だが、猛スピードで下った結果、なんと15分で到着。やはり人間、為せば成る。今回の山行は非常に良い経験ができた。あの高齢者の先輩も、無事で下山してほしい。

気分を良くして上野原の「幸楽苑」で食べたラーメンはダメだったが、チャレンジした甲斐があった。新宿に戻り、ハーゲンダッツで登頂の儀を済ませた。

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