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日はまた昇る

石井慧を追いかけるようになったあと、2016年の8月にスポーツニッポンの校閲部を辞め、半年間、日雇いの肉体労働の仕事をしながらライターの仕事を探していた。社員の募集を見つけては応募をするも、どこも試験や面接すらしてくれない。上京した直後と同じく何社も断られ続ける日々を送りながら2017年の4月にようやくアルバイトとして雇ってくれる会社が現れた。5月からは休みなしで1週間、3社かけもちでライター生活をスタートする。

春の陽気に誘われ半袖のTシャツが街に顔を出し始めた2017年4月26日の日曜日、30歳の石井慧は2年前に旗揚げしたRIZIN横浜アリーナ大会に参戦。全11試合の中、休憩前のジョイント・カード第6試合。対戦相手はPRIDEの最盛期に名を馳せた“テキサスの暴れ馬”ヒース・ヒーリング(39歳)。国士舘大学時代にヒーリングの髪型を真似していた石井が自ら希望した試合だ。

石井は2015年8月29日『IGF4』での勝利以来、同年のRIZIN旗揚げ戦、翌年『Bellator』での2戦とも勝ち星がない。3連敗中と負け癖がつき、プロ格闘家デビューの2009年からトータルでも14勝7敗。RIZINのCEOである榊原信行氏も大会前、自身のツイッターで「石井慧という漢の持てるもの全てを出し切るしかない。もう言い訳は通用しない崖っ淵」とプロモーターとしての最後通告を突きつける。石井の”最後の審判“を傍聴しようと12,729人の観衆に紛れ、新宿から新横浜に向かった。

「勝ち負けよりも、印象に残る試合が一つもないんだよなあ」

リングから33メートル離れた横浜アリーナの2階南側の記者席で40代の新聞記者2人は試合前にそうつぶやいた。

17時20分。入場する石井慧は母国凱旋でありながら、アウェーに乗り込み、密航者のような居心地の悪そうな空気を醸し出す。

第1ラウンド開始から、大外刈りで相手の足をさばき倒す。関節技で腕を極めにいき、体勢もよく、相手に反撃の余地を与えない頑強な要塞を作った。

181センチ、107キロの石井に対し、相手のヒーリングは193センチ、118㎏。身長10センチ以上、体重10キロ以上の差がある。これほど体格差のある相手に何もなせなかった。

石井慧はヘヴィー級、すなわち無差別級のファイター。体重制限という足かせを剥ぎ取った残虐な自由が支配する。圧倒的に日本人が不利な道をあえて石井は這っている。金メダルを獲った100キロ超級の時代から「昔から僕は無差別級にしか興味がありません」と語る。

体格に劣る小男が大男を倒す。地面に這いつくばり、相手にしがみついてでも勝ちを拾いにいく。自分の力を出すより、相手のいいところを出させない。まさに柔よく剛を制す。舞台を畳からリングに移しても石井慧は形を変えた柔道一直線だった。格闘技が「技」を競うものなら、試合巧者のヒーリングを封じ込めた「技巧」は賞賛に値する。

しかし、いまの石井慧が棲むのはプロ、見せ物の世界。必死の「技」と「柔」に観客の大半が拒否反応を起こした。

面白い試合をしろ!
つまんない試合だぞ!

2ラウンドが始まると席を立ち、トイレ休憩に向かう観客が続出。打撃戦と違い寝技のこう着状態は退屈であり、横浜アリーナほどの大きなキャパの会場では何もしていないように映る。

1ラウンド10分、2ラウンド5分が終了し、判定で石井は3−0の完封勝利をおさめた。それでも勝者の石井に容赦ないブーイングが襲う。2人とも負けだ!という声も飛ぶ。

石井も振り逃げで塁に出たランナーのようにバツの悪そうな表情。観客は目に入らず、砂漠に置き去りにされた孤絶者だった。

金を払う観客はド派手なKO劇を期待する。榊原代表も負けようが派手に玉砕する選手が欲しい。格闘技と言いつつも、その実態はショービジネス。果たしてそれは柔道の栄光を捨ててMMAに挑んだ石井が望んだことなのか?この世界で生き抜くには観客の期待に応える必要があるのか?さまざまな疑問符が石井慧の去った水平線に浮かんだ。

石井は柔道家の頃から「試合での負けは死と同じ」と野武士のような考えで生きていた。「負けてもいいから面白い試合を見たい」という観客との間には大きな隔たりがある。プロ格闘家にとっては対戦相手以上に、観客という大きな壁が立ちはだかる。

階級を落としたら話は変わるだろう。しかし、石井慧は「強くなりたいのに減量するのはおかしい」と最重量級、無差別級に乗り込む。積み上げてきたもので突破するのではなく、自ら築き上げたものと真っ向勝負する。

ファンの同意を求めない。評価を得ようとしない。理解されることを求めていない。茨の道を裸足で突き進む。

約1時間後、バックヤードのインタビュールームに石井慧は現れた。悲壮感は滲み出ているものの、少しスッキリしたような顔。「3連敗していたのでどうしても勝ちたかった。冒険しないつまらない試合になってしまった。見せ場をつくれなかった。オファーがあれば次も上がりたい。チャンスがあれば去年負けた3人(イリー・プロハースカ、ランペイジ・ジャクソン、キング・モーにもリベンジしたい」と控えめにコメント。

司会進行のRIZINのスタッフも呆れたように定型文の質問をぶつける。これがRIZINでの最後の試合になることを勘づいている。観客を沸かせるファイターを求める榊原代表が次のオファーをしないことを悟っていた。スタッフの質問が終わったあと「他に質問のある方は?」と呼びかけられたので挙手した。

「次は見せ場をつくりたいとおっしゃったが、そのために必要なことは何でしょうか?」

「スタミナがあることが一番必要で、投げたあとグラウンドのパウンド(上に乗っかってのパンチ)を強く打つことです」

馬鹿な質問をした。観客からもマスコミからも四面楚歌の石井が公に本音を話すはずがない。試合の翌日、Facebookのメッセンジャーに石井慧から連絡をもらった。

「昨日は会場に来てくださり、ありがとうございました。これからも清風魂で頑張ります」

石井慧は柔道を捨てたが、柔道を捨ててからが本当の柔道のはじまり。これからも石井慧は柔の道を貫くだろう。次にインタビューする機会があったら訊いてみたい。

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