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三峰山

三峰山(みつみねさん)は奥秩父を代表する埼玉の山で、秩父の山といえば三峰山を挙げる地元の方も多い。

三峰山という特定の山があるわけではなく、雲取山、白岩山、妙法ケ岳の3つを背景とする山域の総称。山頂は三峯神社にある。

江戸時代には信州(長野)から十文字峠を越え、甲州(山梨)からは雁坂峠を越えて三峯神社に参拝した。どちらも大好きな峠で、三峯神社には故郷の英雄・ヤマトタケルの伝承も残る。

雁坂峠で道に迷った日本武尊を白い狼が現れ、三峰山に導いてくれた。だから三峯神社は狛犬ではなく、オオカミを祀っている。日本武尊ゆかりの地を巡ることを山の楽しみとしている自分にとって、三峰山は憧憬のひとつ。

さらにもうひとり、故郷・大和の出身で日本人最初のクライマーである役小角も699年に三峰修験の祖となった言われている。日本武尊も役小角もあくまで伝承に過ぎず、本当に訪れたわけではないだろうが、山を登る理由に史実は不要。憧れさえあればよい。

そして三峯神社は極真空手の東京支部の合宿地。8年間、京都と大和の道場に通った自分にとっては聖地と呼べる場所。登山を始めたばかりの2015年、雲取山の登山口としてバスで三峯神社に来たことはあったが登るのは初めて。否が応でも期待感は膨らむ。

令和4年11月26日(土)、6時10分の埼京線で新宿から先輩の待つ西大宮へ。10ヶ月ぶりの再会。これまで40座を超える峰々をしゃべり歩き、数々の修羅場も越えてきた戦友に空白の時間は関係ない。元気そうな姿が見れたら、あとは車内で映画や政治ネタなど議論風発。『トップガン』や『流浪の月』など話題には事欠かない。続きは登山道で。

ただ、この10ヶ月間で先輩は栗城さんへの想いがずいぶん変わったようだった。無理もない。栗城さんへの愛が深いゆえに、死を受け入れられない。映画『バグマティリバー』も栗城さんの死を受け入れるために作られた。

栗城さんが亡くなってから多くの者が使者に鞭を打ち、ほとんどが批判だった。誰も栗城さんの登山をその眼で見ていないのに。

先輩は週5回のボルダリングに通い、明日もロッククライミングに行くという。前向きに歩んでいるのは何よりだが、少し気になったのは前日のLINEの返答。雨の予報だったので、登山を中止するか尋ねたとき「雨ごときで中止はありえない」と返された。確かに先輩は経験豊富だが「雨ごとき」という者ほど雨に足元をすくわれる。それは最後に現実となる。

9時10分、神岡橋の駐車場をスタート。車を降りると、淡い俄雨。予報では午後からだったので意外だった。きっと世界一の雨男だった栗城さんが寂しがってやってきたのだろう。レインウェアを羽織り、モンベルの折り畳み傘をさして歩き始める。

錦繍と呼ぶには遅いが、三峰山は黄葉が美しく、わずかに紅葉も残る。単独登山なら自然と対話するが、先輩が一緒だと映画や世情の話に花が咲く。

登山道にはたっぷりの落ち葉。この時期が最も山の生命力を感じられるかもしれない。雨に濡れた落ち葉は下山時に滑りやすい。念のためストックを持ってきて正解だった。

三峯神社は宮本武蔵が二刀流を開眼した場所。この地で鎖鎌の宍戸梅軒を破った。歴史は古く、縄文人が黒曜石を採りに往来した。日本でも有数の古道のひとつ。

2時間ちょっとでゴールの三峰神社に到着。普段着の観光客がわんさか列をなしている。パワースポット巡りのブームは加速しているのだろうか?

奥秩父の山々を眺める。遠くに武甲山も見えたが、観光客には興味がないらしい。我々も腹が減った。ビジターセンターの中で腹ごしらえ。

年配の人が多いからか薄味に、量も控えめ。秩父産の椎茸が予想以上に甘く、大満足だった。

ヤマトタケル像に別れを告げ、山を下る。途中で先輩が足を滑らせた。わずか4時間ちょっとの登山だったが足にきていたようだ。何より雨を舐めていたのが祟った。左手の捻挫は無事だったが、どんな時も山で油断してはいけない。かくいう自分も今年は山に行けていない。

いよいよ来月は山納め。丹沢に行く予定だが、どうなるか。来年は先輩と雪山に行きたい。

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