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VAGABOND

2017年2月から練習拠点をクロアチアに移した石井慧は4月26日のRIZIN横浜アリーナ大会で榊原代表の不評を買い、ファイターとして失格の烙印を押された。その後は7月にロシア、10月にはオーストリアでMMAを戦い1勝1敗。主な舞台を海外に移していた。

一方、2017年からIT企業のWebライターとして活動を始めた自分は実名で行っていたSNSで誹謗中傷を避け、完全にSNSをやめ石井慧とも連絡を取らなくなった。せっかくフォローしてもらったのに自ら縁を絶ってしまった。SNSを再開したのは1年後。その当時、戦場を転々とする石井に声をかけたのが、寝技だけを競うイベントを立ち上げた桜庭和志だった。

2018年4月、石井慧はグラップリング・イベント『QUINTET(クインテット)』に参戦。RIZIN以来、1年ぶりの日本での試合ということで久しぶりにチケットを取って会場に足を運んだ。

QUINTETは寝技の攻防のみ。打撃という最もエキサイティングな旨味を抜いた格闘技は見るに堪えるのか?MMAでは結果を残せていない石井だが、言うまでもなく組技はスペシャリスト。柔道着の石井慧をこの眼で見られなかった自分にとって、ちょっとしたタイムマシンに乗る高揚感があった。

第1回大会は4月11日、両国国技館。石井は「JUDO DREAM TEAM」と銘打って、ユン・ドンシク、小見川道大、キム・ヒョンジュ、出花崇太郎と4人の寝技師の大将として、桜庭和志のチームのマルコス・ソウザと対戦した。

ソウザはブラジリアン柔術の天才だが、体重は80kgにも満たない。100kgを超える石井とは大人と子供くらいの体格差がある。

てっきり楽勝だと思っていたら、なんと4分間まったく極めきれず引き分け。我が目を疑ったが、相手のソウザがそれだけ強かったかもしれない。そのまま石井チームは1回戦で敗退。グラップリングだけの面白さを確かめる暇もなく、宿題を残し次大会へと向かった。

3ヶ月後の7月16日。早くも第2回QUINTETが大田区総合体育館で開催された。今度は『TEAM VAGABOND』の大将として、米国人のジオ・マルティネスと対戦。前回よりさらに軽く、石井の体重の半分ほどの65kg。もはやイジメに近い体重差。

優勢であるものの、ここでも極めきれず4分引き分け。予想だにしない結果。柔道のオリンピック・チャンピオンとは一体なんなのか? これまで元金メダリストとしての輝きを打撃技によって血で染められてきた石井だが、『QUINTET』の結果が最も輝きを消失しているように見えた。

多くの者が「石井慧は柔道を続けていればよかった」と言う。しかし、やはり柔道を捨ててよかった。組み技の女神と離婚して正解だった。

柔道は相手を倒せば一本となる。だが、いま石井が向き合っているのは、その先の世界。生きるか死ぬか。相手をタップアウトさせる刹那の駆け引き。極めるかどうか。そこに判定勝ちは存在しない。

さらにプロは観客をも押し倒さなければいけない。武道やスポーツの柔道とは別世界。狩猟民族の生存競争。柔道村、オリンピック村の住人では生涯、ぬるま湯に浸かってふやけていただろう。

石井慧は故郷を捨て、家族を捨て、柔道を捨てた。捨てることは背負うこと。栄光もなにかも突き放したことで石井慧の柔の道は本当に始まった。カッコ悪い道を選んだ石井。世界最強になるという夢物語を歩く石井。

だが、そんな大馬鹿野郎こそが遠い遠い自分に出逢える。宇宙を走れる。放浪者の生き方こそ石井慧に似合っている。

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