神話を超えた神話
YouTubeやSNSでスポーツをダイジェストでつまみ食いすることが増えた。時間に追われ、時短が正義の現代においては仕方ない。だが、つまみ食いだけで飲食店の真価をはかるのが難しいように、コース料理を最初から最後まで完食してこそ得られるものがある。
4時間を超えた第58回Super Bowlを見終えたあと、数日間の旅から帰ってきたようにグッたりした。中身が濃く、手に汗握り、最後は涙を流した。
対戦カードはサンフランシスコ・49ers対カンザスシティ・チーフス。最初はサンフランシスコを応援していた。5年間で4度も大舞台に侵攻するチーフスの王朝には飽きてきたし、ドラフト最下位で指名された男のシンデレラ・ストーリーを見たい。全体262位、年俸はNFLのQBで破格の1億円。ブロック・パーディがNFL史上初、Mr. イレレバントとしてSuper Bowlを制覇する瞬間を楽しみにしていた。
しかし、凡人の夢など嘲笑うかのように、4年前、自らの伝説を歩み始めた同じカードでパトリック・マホームズは神話の脚本をリライトした。自らが神に近づいたことを刻字した。
4年前は最終クォーター残り15分で10点差の絶望から大逆転。昨年も実力で上回るイーグルスに前半ボコられるも後半でリードチェンジ。そして今年も常にモメンタムを相手に奪われながら耐えに耐えて最後の最後でゲームチェンジ。
絶好調ではない。過去一度も許していないプレーオフでのインターセプトも喫した。相手の守備のプレッシャーに動揺しミスも連発。それでも背番号15はサイドラインでずっと笑っていた。「大舞台を楽しむ」「自分やチームを信じ切る」といった自己啓発本に書かれる一流アスリートのマインドセットとは次元が違う。その先にある領域に足を踏み入れた顔。
昨年のWBCで大谷翔平も神話を築いた。望んでいたヒリヒリする試合を楽しみ、周りを鼓舞することで「全進野球」を完成させた。マホームズは違う。ただ笑っているだけ。ひとりだけ神様と密約を交わしていた。神のほうからロンバルディ・トロフィーの手土産を持って俺に歩み寄る。そう言わんばかりに。
ある男を思い出した。グランマ号に乗ってメキシコ湾を渡り、キューバ政府の反撃により82名の軍隊が崩壊。生存メンバー12名になり全員が絶望したとき「これでバティスタの命運は尽きた。我々は勝利する」と言い放った悪魔の笑顔。
フィデル・カストロ。おそらく自分ひとりになっても勝利を確信しただろう。俺さえ生き残ればいい。マホームズもチームメイトが反則を重ねようが、ロンバルディ・トロフィーが胸に飛び込んでくる。そう達観していた。チェ•ゲバラと同じ28歳でラスベガス革命を起こした。
パトリック・マホームズは全スポーツのgoat(史上最高のアスリート)であるトム・ブレイディの背中を追い始めた。ファンは身勝手なもの。第58回Super Bowlもすぐに過去に埋没させ、ブレイディの7回優勝、MVP5回と比較する。神通力がいつまで続くかわからない。神話を超えたマホームズを脅かす超人が現れる。そんな不可能を簡単にやってしまうのがNFLの世界であり、Super Bowlという舞台。
明日、マホームズが不慮の事故で引退しようとも今日の輝きは色褪せない。時間が経つほど偉業は熟成されていく。今日のパフォーマンスの意味を、俺は今後も語り継いでいく。