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The Wild Boys〜敗れざる者〜

石井慧の試合を観るのは2019年3月以来。名古屋のオクタゴン、ケージマッチだった。

2017年のRIZINでヒース・ヒーリングに判定勝ちをおさめたが、試合内容は不評。榊原社長の信頼を失ったあとはセルビアの団体「SBC』、桜庭和志が旗揚げした組技の『QUINTET』、名古屋の格闘技イベント『HEAT』転々とする。

勝利や敗北のワインディングロードを進み、令和三年の9月からK-1に参戦。MMAならまだしも、組技×寝技で天下を獲った男が打撃×立技の対極に34歳で挑む。

金メダルを捨て、日本国籍を捨てたヴァガボンド(放浪者)は自らの格闘アイデンティティも捨てた。

大谷翔平の二刀流どころか、バスケットマンがサッカー選手に転身するようなもの。いちいちが常識には収まらない。携帯電話の圏外で生きているような男だ。

K-1のチケットは3万5,000円。石井の試合を観るために新宿から深夜バスに乗り、試合翌日には東京に戻る。ハッキリ言ってコスパは悪い。だが、コスパは悪いほうが体験は凝縮される。

清風中学・高校の3年後輩(同じ緑ネクタイ)で、上京してから8年間ずっと追いかけている。世間に依存しない生き方は令和になって研磨され、コロナを患って生死を彷徨っても石井慧は石井慧を曲げない。

大きく変わったのはK-1だ。かつてのK-1といえばヘビー級。自分が中学生の頃はアンディ・フグのカカト落としやフグ・トルネード、ピーター・アーツのハイキックを学校で真似した。

しかし現在は70kg以下の軽量級が中心となり、ほとんどがラウンドガールより小さい。キックからパンチに重心は移り、17試合中キックのKO勝利は1試合だけ。

その点では、皮肉にもヘビー級とミルコ・クロコップのハイキックを継承している石井慧が誰よりも、かつてのK-1の残像を残している。

しかし蓋を開けてみると、やはり石井慧は石井慧だった。

赤コーナーでも挑戦者にしか見えないのが石井慧。地元の凱旋なのに相手のRUIのほうが声援が多い。

身長差13センチ、体重差20Kg。ノーマーシー(無慈悲)な無差別級。1Rはプレッシャーをかけて前に出るものの、2Rからはリーチと経験で勝るRUIが前蹴りと膝蹴りでカウンター。

苦痛に顔をしかめる石井は徐々に勢いを失い、満身創痍。世界一の練習量と不屈の精神力だけで反撃しているのは明らか。

柔道のスペシャリストである石井慧だが、彼の本質は打撃にある。これが総合格闘技なら、寝技に持ち込んで塩漬けにしていただろう。

しかし、ホールドに逃げず果敢に攻め続ける。今までの自分のままならK-1に挑む資格はないと思ったのかもしれない。

3R終了直後のガッツポーズは、それだけ苦戦と覚悟を物語っていた。ダウンすら無かったが、8年間、追い続けてきたなかで石井慧のベストバウト。

K-1では2連勝だが、石井に勝者の覇気はない。常にチャレンジャーだ。

石井慧を応援し始めた2014年はIGFでメインイベンターだった。そこから負けを重ね、RIZINやK-1では中盤の試合に降格した。

だが、決して石井慧は舞台を降りない。たとえ第1試合でも、リングに上り続ける。 

出世や法外なファイトマネーには縁遠い。アンチからはバカにされ続け、誹謗中傷の雨はやまない。石井が目指す人類最強など、夢のまた夢であることは世界中の傍観者が知っている。

それでも石井慧は戦い続ける。格闘技の舞台から降りたときが石井慧が負けるとき。リングに立つ限り、そこに敗北は存在しない。

石井慧は今もなお、敗れざる者である。

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