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蹴道一直線

日本中が侍ジャパンに沸く3月12日の日曜、30年前に産声を上げたK-1が代々木体育館で記念大会を開催した。1993年4月30日、第1回K-1 GRAND PRIX。8選手による10万ドル争奪の無差別級トーナメントから10年も経たないうちに、K-1はPRIDEとともに日本を格闘技ブームの狂熱に巻き込んでいく。

代々木体育館から少し離れた原宿や表参道はWBCの東京ドームより賑わい、15時を過ぎても飲食店は満杯。駅前の𠮷野家ですら入れない。明日でマスク着用の義務化も終わる。今日はアフターコロナの前夜祭。ヘヴィー級の超人たちが集結したかつてのK-1もこんな熱狂だったに違いない。

30年の熟成期間で日本の格闘技は大きく変わった。ラウンドガールより身体の小さいコンパクトな選手がトップに立ち、アンディ・フグが魅せた踵落としやフグ・トルネードといった大技は漫画や映画に限定される。現代では技も生き方もシャープでコンパクトなミニマリズムが美徳。そんな中で恐竜の化石のように破天荒な生き様を貫く野武士がいる。

石井慧は父・義彦の影響で小学生から柔道をはじめたものの、本当に憧れていたのはK-1。父は「柔道が一番強い」と断固するが「なに言うてんねん。K-1が一番強いんや」と信じて疑わなかった中学時代。その最強説はヒクソン・グレイシーを見て崩れ、エメリヤーエンコ・ヒョードルへの憧れによってベクトルはMMAに向かう。

柔道のオリンピックチャンピオンから総合格闘技に転身する2009年、理想像を訊かれると「一芸に秀でたファイターではなく、格闘技の総合病院」と返した。打撃、組技、関節技。あらゆる技術を磨く。それから15年近くたってもブレない頑固者は2年前にK-1に参戦。この戦場でのゴールを京太郎戦に掲げた。

メディアの前では自虐を多発するが、対戦相手を小馬鹿にしたことは一度もない。高田延彦が「彼には代表作と呼べる試合がない」と批判したときも「それは戦ってきた相手に失礼」と真っ向から反論した。誰よりも対戦相手へのリスペクトが強く、特に敬意を示すのがK-1のリングで最後のダンスパートナーとなった京太郎。

いつものようにロシア民謡のカントリーソングに乗って入場。青コーナーにブルーのグローブ。挑戦者カラーに染まりながら、顔を覆う熱情のタオルの色は赤。国籍は日本ではなく4年前に帰化したクロアチア。第1回のグランプリで優勝したブランコ・シカティックと同じだ。

Tシャツを脱いだだけで場内に響めきが起きる。鍛え抜かれた肉体は負けないための修練であり、同時に命を懸けて戦う相手へのリスペクト。武闘家の孤高は試合ではなく稽古に宿る。

第1ラウンド。この1年間、ボクシングのリングに上がり、ひたむきにパンチを磨いた時間に逆らうように、蹴りを中心に繰り出す。相手が拳闘の猛者である京太郎だからキックで対抗する狙いもあるが、この試合を最後に卒業するK-1への畏敬に見えた。

京太郎は本職のパンチでリズムと間合いをつかみ、ラウンド終盤には右ストレートでグラつかせる。経験したことのない質の拳。これが本物のヘヴィー級のパンチ。

世界一の練習量によって築いたスタミナとタフネスは残酷にも奪われ、1ラウンドから肩で息をする。10年もこのファイターを追いかけているが、初めてみる光景。やはり柔道を捨て格闘技に転向してよかった。

第2ラウンドも京太郎のペースで進み、もはや気力だけで立っている。京太郎が本気で攻めればKOを狙えた。しかし、京太郎は自分のペースを崩さず淡々と体力を奪う。この試合を終わらせたくないように思えた。

迎えた最終ラウンド、練習量が不十分な京太郎のスタミナが切れる。プレッシャーをかけ、果敢に左のローキックを放ち、何度か京太郎をグラつかせる。この日、唯一の逆転の場面。

中盤には平成の遺産となったバックブロー。その姿は現役の誰よりもK-1ファイターだった。

熟練者の京太郎は攻めをかわし、パンチ技術で反撃。やはり最終ラウンドも京太郎のポイントだった。KOできなかった京太郎に対し、女性ファンからは「何やってんだああ」と厳しい野次が飛ぶ。この試合もまた、しょっぱい塩試合として観客の記憶から焼却されていくだろう。

負けた人間は葬り去られる。しかし石井慧は負けながらリングに上がり続ける。成功している人間、勝ちまくる人間、どの物差しにも当てはまらない。空に浮かぶ雲のように世間から自由に漂流する。チベット仏教の砂曼荼羅のように、築き上げたものを自ら壊す。空(くう)を漂流する。この男の漂着点は空にしかない。

柔道の世界にいれば安泰。しかし、茨の道を裸足で歩く。求道者というより愚道者。その生き方になにがあるのか?

今までの格闘家が抱く地位や名声といった価値観とは違うものを背負い投げしている。今日も答えは見つからなかった。だから次の試合も会場に足を運ぶ。これからも麗しき暴走と逃走を繰り返すだろう。再び総合格闘技に戻ったクロアチア人は、ロシアの木こりのような無精髭をすべて剃った。

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