夢十一夜
夢を録画できる装置があればいいのにと思う。続きを観たいわけではない。もう一度おなじシーンを観たい。
夏目漱石の小説に『夢十夜』があるように、初夢、正夢、郷夢、客夢、瑞夢。日本人は夢に数えきれない言魂を宿してきた。
夢の中は予想だにしない出来事や人物に出逢う。よくこんな脚本を書けるものだと感心するが、普段は使わない右脳で夢を描いているのだろう。夢は絵画、音楽、文学すべてに長けた映画監督。
こんな夢を見た。京都の一軒家で吉岡里帆が朝ごはんを作っている。自分が東京に帰るところらしい。吉岡里帆がテーブルの隣に座り、味噌汁を出す。小さなカマボコなのか可愛らしいピンクの具材が味噌汁に入っていている。これから離れ離れになってしまうのが寂しいようで、少し拗ねている。あの吉岡里帆が焼きもちを妬いている。悪い気分ではない。
なぜか目の前に長澤まさみが座っている。彼女に「写メ撮ってよ」と頼む。さすが女優。カメラの前では屈託のない笑顔をレンズに向ける。吉岡里帆とのツーショットを撮ってもらい、さあ、いざ味噌汁をすすろうすると目が覚めてしまった。
なぜそんな夢に迷い込んだのかわからない。実生活でそんな妄想をした事はないし、それを願っているわけでもない。多分、深夜2時まで京都の平安高校野球部の資料を読み漁っていたことがトリガーになり、京都つながりで見たのかもしれない。夢のアルゴリズムはわからない。
ともかくその夢を録画してもう一度だけでも見られたら、あゝどれだけ幸せだろう。虚無感が増すかもしれないがやっぱり幸せだろう。
夢の続きを観れる装置だと、どんどん妄想がふくらんで期待が天井知らずになってしまう。逆にストレスが溜まる。バッドエンドになってしまうかもしれない。ほとんど夢は最高潮の場面でディレクターズカットが入る。夢は未完の最高傑作なのだ。
夢の中へ行ってみたいと思わない。もう一度、あの夢に出逢いたい。