編笠山からギボシ、西岳まで
東京に住むクライマーの特権は富士山と八ヶ岳に日帰りで登れることだ。
「八ヶ岳に登って山を好きにならなければ登山の才能はない」。深田久弥さんの言葉どおり、八ヶ岳はどこを切り取っても名峰。これまで8座のうち半分まで踏破し、今回は日本最古の登山の場所と言われる編笠山に登った。
1930年、標高2,400m付近で縄文時代の黒曜石の矢尻が発見された。動物も植物もいない高さで、狩猟でも食料採取でもない純粋な山登りではないか。あくまで憶測にすぎないがロマン溢れる。ちなみに、この登山は日本だけでなく世界でも最古と言われ、我が国の誇りとなっている。
編笠山の登山は樹林帯から始まる。これは八ヶ岳すべてに共通するスタートで、天気がよければ森林限界を越えるまでの登りも愛おしい。ただし、編笠山の尾根は南側に位置するので陽がよく当たる。日中に溶けた雪が夜に凍るから、アイスバーンの道が厄介だ。
チェーンスパイクやアイゼンをつけて踏ん張らないとツルツル滑り、これが容赦なく脚力を奪う。特にこの日は凍結がキツイ。
その分、樹林帯を抜けたときのご褒美が八ヶ岳の素晴らしさ。ハイマツの岩場が現れ、振り返ると壮大な雲海が出現する。
その先には南アルプスや富士山が鎮座し、雄大な姿に眼を奪われる。映画『ドラゴンボール 魔神城のねむり姫』で悟空が雲海に浮かぶ孤城を遠望するシーンがあるが、幼稚園のときに抱いた憧れがフラッシュバックした。
頂上までもう少しというところで、上空に飛行機が白線を描いた。八ヶ岳では毎回のように出逢うが、そのたびに栗城史多さんを思い出す。ただ独り真っ直ぐに純白の線を描いて空を駆ける。ピーターパンに憧れていた栗城さんが天国から降りてきて、雪山の登山を見守ってくれているようだ。
約3時間で標高2,523mの編笠山に到着。本来ならここで太古の縄文登山に想いを馳せながら山グルメに舌鼓を打ち、四方に囲まれた山を当てる山座同定に時間を費やしたい。
しかし、今日はギボシまで行かなくてはならない。北側に見えるキボシと権現岳の威圧感が緊張感を高め、岩と雪への引力を強くする。
青年小屋から再びの森林地帯を登り切ると岩の尖峰が現れる。これがギボシか。ピッケルを出さないと厳しそうだ。
鎖があるから安全とはいえ、脚を踏み外すと崖に真っ逆さま。これが八ヶ岳の醍醐味。
ギボシの絶頂に立つ。誰もない孤高の頂。この瞬間のために雪山登山を続けている。もっと雪が似合うクライマーになるために。
縄文人もここまで来たのだろうか?もし雪の中で登頂していたら凄いことだ。謎は謎のままのほうが浪漫は熟成する。
先輩は権現岳へ向かったが、久しぶりの本格的な雪山なので、体力を温存することにした。権現岳は来年の楽しみにとっておこう。宿題は多いほうが人生は楽しい。栗城さんの言うとおりだ。
帰りは西岳を経緯。すでに15時を過ぎている。雪山では下山を終えていなければいけない時間だ。ここからコースタイムでは3時間。このままでは18時を過ぎてしまう。
残りの力を振り絞り全速力でアイスバーンを風林下山。駐車場に着いたのは4時27分。標準タイムの1/3近いスピードで駆け下りた。やっぱり下山が誰より速かった栗城さんが力を貸してくれた。