『母の温度』に寄せて
尾崎豊の奥様・繁美さんの連載コラムを仕事前に読む。毎朝の愉しみである。24歳で夫を亡くした繁美さんは喪失感に向き合う時間もなく、目の前には2歳の裕哉。マスコミから追い回される日々から逃がれ、意思の通じないボストンでの苦闘。子育てという愛のしるしは格闘の軌跡でもある。
noteで読んだ一編『母の温度』は、男兄弟で育った僕に、母娘の関係性を覗かせてくれる。母と娘のキャッチボールを見ているようだ。子は親に抗うことで成長していく。親も子の抵抗に抗うことで親に成長していく。
近況よりも遠い幼少期のエピソードにハラハラし、自分の心臓の鼓動を感じながら読み進めた。短い文章なのに大河ドラマを見たような、一字一字に想いを刻印した言の葉からは、8mmフィルムの映像のように瞬間瞬間の情景が映し出される。
語り口は作者の一人称だが、作者の眼を通して母のまなざしを感じた。思い出を綴ることは過去の美化ではなく今という時間の強化。回想である『母の温度』には作者の未来が映っているようだった。