見出し画像

影裏

自分の影を見ながらよく走っていた。スポーツニッポンの校閲で働いていた4年前、タクシーから降りるとナイキの靴を弾ませ5万5千円のアパートに駆け出す。人が消える深夜2時の北新宿。摩天楼は昼間の喧騒を溶かした珈琲ゼリーに変わる。いつかこの街を飛び出して旅に出るんだ。そう信じることができた。

先月『影裏』を見たあと、ライトアップされた都庁の下まで行った。6万4千円のアパートから少し離れているが、良い映画に出逢ったあとは寄り道したくなる。

岩手の盛岡で渓流釣りをする松田龍平と綾野剛。川を見下ろすと、そこに広がるのは2人だけの宇宙。心を開かない綾野剛は、ジャスミンの花とニジマスを見つめるときだけうれしそうな顔をする。足もとにいる自身を愛でることで、孤独から救われたのかもしれない。

ご無沙汰している高尾山や奥多摩に行きたくなった。人を避けて山に行くのに、東京の街を見下ろすと人が恋しくなる。そうやって自分と、もうひとりの自分の調和を保っている。

山を始めてからは都庁に登らなくなった。理由はない。ただ、なにかが終わりそうで、なにかが始まってしまいそうで、いつも見上げてばかりいる。

アパートに帰ろう。ふと見下ろすと影がいてくれた。影がじっと見上げていてくれた。

いいなと思ったら応援しよう!