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拳道讃歌

東京での年末は格闘技かボクシング観戦が風物だった。しかし今年は正月を奈良の実家で過ごした。姪、甥っ子と遊ぶことが目的だが、魅力のあるスポーツ興行が減ったことも事実。

そんな中、石井慧が亀田興毅プロデュースの3150FIGHTに参戦。明けましてボクシング。東京への帰京を遅らせ、千日前でとんこつラーメンを食べて大阪府立体育会館へ向かった。

1月6日(金)12時30分。前回の8月14日、大坂夏の陣から冬の陣へ。物語は受け継がれる。100回以上は来ている聖地だが、眼前にするといまだに緊張感が走るから不思議だ。

最も安い3,150円のチケットを買っていたが、Twitterのキャンペーンでチケットが当選。3,150円で花道の正面は悪くないが、やや距離がある。

さすが8,000円の席。思わぬお年玉。プロボクサーとは名乗れないキャリアの石井慧がボクシングに参戦するのは総合格闘技のためだが、そんなボクサーがいてもいいではないか。これまで村田諒太、柴田明雄、伊藤雅雪と3人のボクサーを追いかけてきた。そのどれもが素晴らしい試合や生き様を見せてくれたが、本当に見たかった拳闘は石井慧かもしれない。

試合開始前の選手入場。ロシアの密林に棲む木こりのような風貌が似合ってきた。石井慧は柔道の道場を飛び出し、格闘技だけでなく、グラップリング、キック、ボクシングを巡る渡世人。そこには賛否両論がつきまとう。石井は世界を、世間をリングにした。

トーナメントを除いて久しぶりの第2試合。ヘビー級4回戦。ベテランのプロレスラーが衰えによって前座を務めるのではなく、拳闘に殴り込みをかけた挑戦者のリスタート。

体重120キロを超えながらシックスパックに割れた腹筋。筋肉をイジメぬく。武闘家の孤高は試合よりも日々の鍛錬にあらわれる。

赤コーナーのハン・チャンスは韓国出身の31歳。石井より身長は2センチ高く、入場時のフットワークの軽さが目立った。ボクシングは、いかに相手に足を運ぶかで勝敗が決まる。魂をのせるのは拳だが、魂を運ぶのは足。ヘヴィー級といえどフットワークを磨けるかが生命線。

試合開始。パンチが肉体にぶつかるたび、軽量級のワーという高い歓声ではなく、おおお!のどよめきが起こる。これが重量級。

ハン・チャンスは距離があっても、飛び込むことで一瞬で間合いを殺し、懐に入ってパンチを当てる。石井はジリジリと相手に近づきパンチを入れるしかない。その間、カウンターを喰らい、また距離を取られる。遠くから大振りのパンチを放ってもカウンターをもらうか、バックステップでかわされる。1ラウンドは完全にハン・チャンス。

2ラウンドは互いに決め手を欠くも、石井のパンチが少しヒット。あえてポイントをつけるなら石井。

3ラウンドは接近戦が多くなり、手数が増える。互いにパンチを出すがクリーンヒットならず。ポイントはパンチを当てた石井。

4ラウンドは何発か石井のいいパンチが当たる。ただし、距離が短いため、有効打にならず。ポイントでは石井。

ジャッジ1人は2ポイント差で石井慧の勝利としたが結果は引き分け。

肉体を見れば修練の違いは段違い。それでも結果は残酷。これがファイターの世界。報われなければ努力は評価されない。プロとして失格、しかしアマチュアでもない。石井はそのグラデーションで戦っている。

K-1では「ROAD to 京太郎」を掲げ、3150 fightでは但馬ミツロを目標に掲げる。格闘技ファンは「何がしたいの?」と思うだろう。だが長年、石井を見ていればこの理屈は簡単だ。石井慧は誰よりも対戦相手へのリスペクトが強い。格闘家というより武闘家がふさわしい。尊敬する相手と手を合わせたい、そして何より強い相手に勝ち、今の自分を超えたい。そんな純真な血が流れている。

4回戦ボクサーからスタートを切った石井。ボクシングでは白帯であり、はじめの一歩を踏み出す。オリンピック金メダリストの名誉を持つ36歳が恥も外聞もなく、ガムシャラに拳闘と向き合う。このカッコ悪い生き方を誰が選択できるだろうか。

有名になりたい、大金が欲しい、幸せになりたいなどとは無縁。もはや金メダリストとしての自分を超えようとする気概すらないかもしれない。ただ強くなる。今より強くなる。その一心に支配されているように見える。今の石井慧は日本刀が精製される前に、炉で静かに燃えてドロドロに熔けている状態。一心不乱に、ただ情熱を燃やす。そこには洗練されていない美しさがある。

グラップリングやキックボクシングは石井が目指すMMAの最強に役立つが、ボクシングはあまりに特殊なスポーツ。世界最古の格闘技が、なんでもありのパンクラチオンではなくボクシングであったように、拳闘は人類の歴史に根深く刻まれている。今回の試合で石井はその深淵を感じたかもしれない。

「ボクシングに挑戦できて凄く良い経験になりました」と試合後は拳闘界から身を引く旨の発表をした。プロのライセンスを取得し、1試合で引退を表明したことに苦言を呈するメディアやファンもいる。それは正論。

これが石井慧という男の敬意のあらわれだ。柔道、K-1、グラップリング、MMA。誰よりも多くの戦場で勝負してきた石井だからこそボクシングの奥深さに触れ、その難しさに兜を脱いだ。ヴァガボンド(放浪者)なりの拳闘へのリスペクト、拳道讃歌である。

たとえどんな選択をしようと石井慧の手はしっかりと拳をつくっている。そこにはピンと一直線に伸びた、拳の轍が残っている。

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