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たった独りの東京オリンピック

北新宿のアパートを出たとき、南の空にヘリが飛んでいた。22時31発の総武線で大久保駅から千駄ヶ谷に向かう。

2021年8月8日。閉会式直後の22時44分、新国立競技場をスタート。本来のマラソンコースである東京の42.195キロを走る。

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新国立競技場(オリンピックスタジアム)~富久町~市ヶ谷〜水道橋~神保町~神田~日本橋~浅草雷門~日本橋~銀座~増上寺、ここから同じルートを折り返し、新国立競技場へ。

東京オリンピックは税金を払っている都民にチケットを配るべきだ。なのに、大会関係者や地方に流れ、生で観られる都民はごくわずか。何のための開催地なのか?

それでもチケットの取れない都民が唯一観戦できる競技がマラソン。開催地をランナーが縫い、新国立競技場に凱旋。これがオリンピック。他の競技はともかく、マラソンだけは開催地を走らなければ意味がない。だから暑さを理由に札幌に夜逃げした瞬間、東京オリンピックは自殺した。

本来のマラソンコースを走ることで、何かかが変わるわけではない。何かを変える気もない。ただ東京オリンピックという空白を獲得する。

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祭りの後の千駄ヶ谷駅は見物人で溢れ返り、物々しい厳戒態勢。警備員は声こそ優しいが殺気だっている。とてもスタジアムに近づける雰囲気ではない。仕方なく東京体育館前からスタート。

人並みをかき分け、富久町から市ヶ谷へ。飯田橋を抜けて水道橋に向かう。前夜から今日の昼間にかけて大雨をたっぷり飲み込んだアスファルトは蒸し風呂。7年前、旧国立競技場が解体される直前にもらった記念の赤いハンドタオルもスポンジのように汗を吸う。2ヶ月間まったく運動していなかった鈍脚は、右から痙攣を起こしはじめた。5キロほどでマラソンは断念し、競歩に変える。

日付が入れ替わり、神保町から神田への大通りは心地よい風が舞う。まだ山手線の終電が走っている。リタイアするなら今だ。腰痛、運動不足、一歩を踏み出したけで十分。逃げ道の標識が多すぎて逆にどれも選べなかった。

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蔵前に着くとTOKYO to PARISの光。トリコロールのスカイツリーは3年後に背伸びしている。買ったばかりのナイキの赤いランニングシューズ『ペガサス』につぶやく。

翼よ、あれがパリの灯だ

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2時間23分かけて浅草雷門。ナイキのApple Watchは1時7分を指していた。

休憩はなし。コンビニには寄りたくなかった。喉の渇きは自販機で癒し、公衆トイレで用を足す。真夜中の東京で生きているのは自販機とコンビニだけだった。

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日本橋に入ると急に人が消えた。喧騒のない異様な東京、長距離ランナーの孤独をぬぐってくれるのは20m間隔で迎えてくれる自動販売機の光だけ。沿道の応援者のように。自販機はマスクなしでも拒否しない。

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東京は夜の街だ。深夜になれば色彩を失うどころか、ネオンが目を覚ます。真夜中にしか東京の真実はない。銀座の和光を通過。時計台は2時15分を刻んでいる。

不思議な街だ。至るところでデジタルサイネージ(電子看板)が稼働して眩しい。この時間になって人が覚醒する新宿とは違う。人が眠っているのに、銀座は働きっぱなし。

東銀座の交差点に差し掛かると、栗城事務所があったマンションが見える。栗城さんが存命なら、世間からは蚊帳の外で、裏リンピックを考えたかもしれない。

新橋に差し掛かると雰囲気が変わる。急にサラリーマンの匂いがした。夜明けは遠いが、3時までには増上寺に着きたい。都庁の灯が消えて久しい今、TOKYO唯一の街の灯は東京タワーだ。

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2時45分。天に伸びるインフィニティ・ダイヤモンドヴェール。268台のLEDによる孤高の光、無限の夜。自分だけの聖火。やっと逢えた。

25キロから先は折り返し。ランナーのいない皇居外苑は贅沢だが、もう競歩の気力すらなかった。あとはトボトボ歩いてゴールするだけ。四谷に入ると景色が蒼くなってきた。夜明けが近い。

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4時55分、夜明けとともに6時間11分の旅を終えた。東京体育館前で缶コーヒーを手にした笑顔のマスコミとすれ違う。数人の警備員は怪訝な目でこちらを睨んでいる。なんとでも思え。

朝日に祝福されたオリンピックスタジアムは、前夜より小さく見えた。

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