避諱という慣習について
避諱(ひき)と呼ばれる慣習がある。中国など東アジアの漢字文化圏にみられるもので、君主や目上の者の諱の使用を忌避するものである。
中国では古来、親や主君などの目上に当たる者の諱(本名)を呼ぶことは極めて無礼なことと考えられていて、それが字(あざな)という通り名の使用に繋がっている。有名な諸葛孔明の孔明は字で、諱は亮という。
こうした避諱の範囲は時代によって異なるようだが、Wikipedia当該記事によると、その時代のあらゆる言語表現に及び、例えば避諱に触れる文字を含む人名や地名があったときには適宜諱に当たらない名前に改められることもあったという。この場合、嫌名といって、諱字に通う音の字を改めることも行われた。
例えば、楚漢戦争時代、劉邦配下の将軍で功績の高かった韓信に諸侯として独立することを説いた遊説家・蒯通は、本名を蒯徹といったが、前漢の武帝の諱が徹であったため、嫌名によって意味が近い通の字が充てられ、そのまま後世に至るまで蒯通と呼ばれることになった。他に、現行の『晋書』は唐代に編纂されたものであるため、前趙の建国者である劉淵が、唐の初代皇帝・李淵の嫌名で字の元海で記されている。
避諱には他にも様々な方法があるが、その一つに欠画というものがあり、皇帝の諱に使われている文字の一画(多くは最終画)を省略するというものである。 これらは事務仕事上の大きな障害になっていたことが容易に想像できる。唐の二代皇帝・李世民は諱が日常で多用する文字であったため、太宗は避諱を免ずる詔を出している(それでも後裔や臣下は厳に使用を避けたらしい)。また、前漢の宣帝は諱が病已(へいい)で、避諱が難しかったため、即位時に詢(じゅん)と改めている。
あと、おもしろいのが、唐の二代皇帝・李世民の諱を避けて観世音菩薩を観音菩薩と呼んだことで、これが今では定着して「観音様」が通称になっているが、仏(菩薩)が皇帝に遠慮しなければならないというのは不思議なことである。
日本の場合、公家・武家などの間では実名を忌避して官職名で呼び合うことはあったようである。また目上の人の諱を憚って改名する事例も伝わっている(堀田正篤が篤姫に遠慮して正睦に改名している)。
ただ、日本の通字・系字にはその家の正統な後継者、または一族の一員であることを示す意図があったようで、中国とは異なる価値観があったのは間違いなさそうである。