歴史小話集⑨
【東大寺と西大寺】
奈良には東大寺と西大寺があるが、創建は東大寺のほうが早い。東大寺の寺名は「極東の大きな寺」といったような意味で、当初は対となる寺院を造る予定はなかったようである。
東大寺は国立大学のような役割を果たし、授戒のための戒壇が設置されていることから、特別な寺院として庇護が加えられた。一方、西大寺は称徳天皇の私寺の趣が強く、叡尊によって復興されるまで衰退していた。
法隆寺や唐招提寺も準官寺だが元は私寺で、法隆寺は興福寺末の教学寺院となり、また聖徳太子信仰の高まりもあって栄えたが、唐招提寺は後ろ盾がなく衰退し、鎌倉時代に覚盛によって復興された。
【大岡忠相の名裁き】
江戸南町奉行として知られる大岡忠相は、町奉行を務めた後、寺社奉行に就任しているが、その時の話である。
ある時、法華宗の本山である池上本門寺の門に「南無阿弥陀仏」と書いた紙が貼り付けられる事件があった。これが何度も繰り返され、法華宗と一向宗(浄土真宗)の間で一触即発の事態となったため、関係者が寺社奉行に訴え出た。
これを捌いたのが大岡で、紙に「西方の主と聞きし阿弥陀仏今は法華の門番をする」という狂歌を書いて本門寺に与えた。本門寺がこれを門に掲示すると、悪戯は止んだという。
新人物往来社の『別冊歴史読本54 知ってるつもりの日本史』に取り上げられている。
【重要美術品とは何か】
展覧会に行くと、時々「重要美術品」と表記された文物がある。これは「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」によって、美術品の海外流出を防ぐため、国宝の資格をもちながらまだ国宝になっていない文物を仮指定して保護するものであった。実際の認定においては輸出・移出のおそれがない物件も混ざっていたという。
同法は「文化財保護法」施行によって効力を失っており、「文化財保護法」の附則で「認定されている物件については、同法は当分の間、なおその効力を有する」と定められ、暫定的に運用されている。文化庁では重要美術品の見直しを進めていて、重要美術品の認定の取消・重要文化財の指定(格上げ指定)を推進している。
【石川丈山】
石川丈山は江戸時代初期の文人で、元は武士だったらしい。
三河譜代の武士の家に生まれたが、大坂の陣で軍令違反があり、浪人になってしまった。その後、藤原惺窩に弟子入りし、儒学を学んだという。 一時、紀州浅野家(のち安芸に転封)に仕官していたが、思うところがあって病と偽り致仕し、京都へ移住。洛北の一乗寺村に山荘を作り、木下長嘯子が山荘に三十六歌仙の額を飾って歌仙堂と称したのに倣い、中国の詩人36人の絵額を作って飾り詩仙堂と称した。煎茶道と作庭に通じ、隠者として90年の長寿を全うした。
本阿弥光悦、松花堂昭乗、小堀遠州と並ぶ当代一流の文化人であった。