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首里城正殿の焼失について

首里城は琉球王国の政庁で、沖縄県内の城(グスク)では最大規模を持つ。戦前は沖縄神社に転用され、正殿などが旧国宝に指定されていたが、太平洋戦争で焼失した。その後は琉球大学の敷地となり、この間に遺構の多くが破壊されたとみられる。琉球大学の移転に伴い、1980年代末から復元・整備作業が行われ、現在にいたる。2000年には『琉球王国のグスクおよび関連遺産群』として世界文化遺産に登録された。

太平洋戦争で焼失する前の首里城正殿

2019年10月31日未明の火災により、正殿を始めとする多くの復元建築と収蔵・展示されていた工芸品が焼失または焼損した。火災に気づいたのは、首里城の警備員。警備システムのセンサーで熱反応があり、確認したところすでに正殿から火の手が上がっていたという。警察と消防による現場検証では火災の原因はわからなかったが、正殿1階の電気系統のトラブルが有力視されている。当時の報道によると、イベント開催に向けて設営作業が行われていたとのことだった。
この火災について、引っかかる点がある。初期消火はできなかったのかという点だ。首里城正殿内にスプリンクラー設備がなかったことは報道で指摘されている。また、塗料に使われていた桐油が火の回りを早めたとも指摘されている。だが、こうした施設には放水銃などが設置されているはずで、火災当時に人がいたら、初期消火は可能だったはずである。これも確か報道でだったと思うが、火災に気付いたときには火の勢いが強く、放水銃に近づけなかったという。

焼け落ちる首里城正殿

ここで気になるのが、火災の原因は不明であるにしても、当日、イベントの設営をしていた団体に火災の責任があるかどうか、誰も追求していない点だ。その点を有耶無耶にしたまま、復興が急ピッチで進められていてモヤモヤする。責任の有無の追求は、再発防止の観点からも必要だと思うのだが。
私はずっと、首里城正殿の火災が人災ではないかと疑ってきた。火の回りが早すぎることと、初期消火の不備がその理由で、例えばコンセントの周辺に燃えやすいものを置いていた、放水銃の上にものを置いていた、などが考えられたからである。そうしたモヤモヤは、この記事で裏付けられることになった。

今回の首里城火災については不自然な点が多く、どう考えても人災である。しかし、記事によると報告書は極めて不自然な記述をしていて、いわば「奥歯に物が挟まったような」言い方になっているという。問題点は多々あり、書き写すのが煩雑なので、詳細はこの記事を読んでもらいたいのだが、やはり人災だったと考えるのが妥当である。正直なところ、何もかもが杜撰だったとしか言いようがない。開いた口が塞がらない。これは、あえて名前は出さないが、当時、首里城正殿で作業していた団体の責任を問うべき事案ではないのか。
幸いなのは、首里城正殿が復元建物だったことと、基壇などに被害が及ばなかったことだ。だが、復元建物だからOKとはいかない。
これは後世まで語り継ぐべき事件である。


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