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京都の魔所について

京都には魔所と呼ばれる場所が多い。思いつくところを上げてみると、

〔一条戻橋〕
僧浄蔵が父・三善清行の葬列と行き合い、父を蘇生させて言葉を交わした場所。安倍晴明が橋の下に式神を隠していた。

〔六道珍皇寺〕
境内に井戸があり、それを使って小野篁がこの世とあの世を行き来していたという。門前には子育て幽霊ゆかりの飴も。

〔菊野大明神〕
小野小町に恋して通い詰め、百日目に道中で急死した深草少将が腰掛けていた石を御神体とする。縁切りに霊験あらたか。

〔深泥池〕
「夜、女性を乗せたら目的地につくと姿が消え、シートがぐっしょり濡れていた」というタクシー怪談発祥の地?

〔羅刹谷〕
東福寺境内、通天橋がかかる渓谷を東に登っていった先にある。恵心僧都源信が鬼女と出会ったという伝説がある。

といったところである。

現在の一条戻橋

他にも「あわわの辻」「首塚大明神」など魔所と呼ばれる場所は多く、なぜ京都にこれほど魔所が多いのか気になるところである。
以下はすべて空想であり、特に根拠はない。
京都の源流は平安京で、実に1200年以上に渡って首都であった。東京奠都後も都市として続いている。これほど長く都市であってみれば、愛憎渦巻いていてもおかしくはない。宮廷における貴族の権力争い、帝の寵愛を巡る妃たちの確執、保元の乱以降たびたび発生した武士たちの衝突、いずれも確実に遺恨を残すものである。
一説には、平安京遷都にあたって、桓武天皇は都を霊的に守護する策を講じたという。それは①四神相応の地に都を築く、②羅城門の左右に寺(東寺と西寺)を置いて邪霊の侵入を防ぐ、③鬼門の方角に赤山禅院、延暦寺を置き鬼門を封じる、④北に鞍馬寺、南に城南宮を配置し睨みをきかせる、というものであった。だがそうして厳重にバリアを張った結果、外からの邪霊の侵攻は防げたが、都の内側に発生した怨念を外に排出することができなくなってしまったのではないか。
京の都には、たびたび百鬼夜行が出たという。その正体は盗賊だったかもしれないが、数々の争いから生み出された怨念が行き場を探して彷徨う姿でもあったかもしれない。

百鬼夜行(『百鬼夜行絵巻』より)

都市としての歴史が長くなればなるほど、怨念は生まれる。そうなると魔所も増えていく。どうやら、東京も無事に(?)魔所を増やしているようだ。
京都に渦巻く怨念は、京都に数ある寺社によっても救われないのだろうか。今も、まことしやかにその歴史が語り継がれている。


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